2007年10月25日
遠州森のまつり“第二日目「中日」パート2”
11月初旬に行なわれる、遠州森のまつり。
「今年は11月2日(金)、3日(土・祝)、4日(日)に開催」
10月19日の記事に引き続き、お祭り前の話題として、第二日目「中日」の話題を紹介します。
午前中、城下、そして三島神社から各町内へ帰ってきた屋台は、会所にてしばしの休憩。
正午過ぎ、御神輿・渡御へ参加のため、再び三島神社へと向かいます。
この日の午前中から、町中には露店が並び始め、町内が段々とお祭りムード一色に染まってくる雰囲気を感じてきます。
午後1時前、各社屋台(谷本社「城下」、凱生社「天宮」を除く)が三島神社へ到着。1時より、神社本殿では神幸祭が催され、舞児(朝日舞、乙女神楽舞、浦安舞)、神社担当長、年番社長、大當番社長が参列をします。
神幸祭終了後、1時半より奉仕者お祓い※が行なわれ、御神宝捧持者、稚児、年番奉仕者、神社担当が参列します。
※今年度から催し方法が一部変更になりますが、この奉仕者お祓いは、今年度から加わった行事の一つです。
午後2時頃(昨年度までは1時40分)、御神輿渡御・出発合図の花火が鳴り、渡御行列が三島神社を出発。
年番社長、先導を先頭に、猿田彦、太鼓、獅子、社名旗、日月旗、盾、弓、太刀・・・(一部省略)、御神輿、舞児らの行列の後ろを、各社屋台(年番が先頭、二番手に大當番)が随行します。
行列は、三島神社を出て町内の中心部(明治町→新町→仲横町→本町→栄町)を練り歩きながら(谷本社、凱生社は新町にて合流)、午後3時10分頃(昨年度までは2時50分)、御旅所である金守神社に到着します。
~ 御稚児従う神輿の後に 各社屋台の曳き廻し ~
「今年は11月2日(金)、3日(土・祝)、4日(日)に開催」
10月19日の記事に引き続き、お祭り前の話題として、第二日目「中日」の話題を紹介します。
午前中、城下、そして三島神社から各町内へ帰ってきた屋台は、会所にてしばしの休憩。
正午過ぎ、御神輿・渡御へ参加のため、再び三島神社へと向かいます。
この日の午前中から、町中には露店が並び始め、町内が段々とお祭りムード一色に染まってくる雰囲気を感じてきます。
午後1時前、各社屋台(谷本社「城下」、凱生社「天宮」を除く)が三島神社へ到着。1時より、神社本殿では神幸祭が催され、舞児(朝日舞、乙女神楽舞、浦安舞)、神社担当長、年番社長、大當番社長が参列をします。
神幸祭終了後、1時半より奉仕者お祓い※が行なわれ、御神宝捧持者、稚児、年番奉仕者、神社担当が参列します。
※今年度から催し方法が一部変更になりますが、この奉仕者お祓いは、今年度から加わった行事の一つです。
午後2時頃(昨年度までは1時40分)、御神輿渡御・出発合図の花火が鳴り、渡御行列が三島神社を出発。
年番社長、先導を先頭に、猿田彦、太鼓、獅子、社名旗、日月旗、盾、弓、太刀・・・(一部省略)、御神輿、舞児らの行列の後ろを、各社屋台(年番が先頭、二番手に大當番)が随行します。
行列は、三島神社を出て町内の中心部(明治町→新町→仲横町→本町→栄町)を練り歩きながら(谷本社、凱生社は新町にて合流)、午後3時10分頃(昨年度までは2時50分)、御旅所である金守神社に到着します。
~ 御稚児従う神輿の後に 各社屋台の曳き廻し ~
この御神輿渡御の際の屋台の引き廻しも、夜祭りのそれに劣らず賑々しく勇壮そのもので、“森の喧嘩まつり”の一端を垣間見ることができ、見所の一つとなっていることもあって、町の中心部は見物客でごった返しています。
各社屋台のパフォーマンスも見所であり、藤雲社の“おかめひょっとこ”、龍生社の“黄門ちゃま世直し旅”はその代表的なもの。
祭典本部前では御囃子審査が行なわれ、統制の取れた勇壮な屋台の引き廻しや、美しい音色の御囃子などが審査されます。
ちなみに、藤雲社(栄町)は渡御の際、毎年“宮囃子”というお囃子を演奏、“おかめひょっとこ”のてこ舞を披露して、平成元年から18年連続で、栄えある一位に耀いています。
~ 晒布(さらし)に白足袋 欄干に立てば 御簾を背の伊達姿 ~
金守神社到着後、御神宝捧持者、稚児、年番奉仕者、神社担当らが神社本殿に参拝。午後3時20分頃(昨年度までは3時)より、神社本殿にて神幸御旅所祭が催されます。
こちらの祭式には、頭取会長、十四社頭取、神社担当長、年番社長、大當番社長らが参列。
朝日舞、乙女神楽舞、浦安舞の順に、各舞児の舞が奉納されます。
~ この日この時いちずに捧ぐ 氏子は祈り舞児は踊る ~
神幸御旅所祭が行なわれている間、各社若衆、中老などは、金守神社のお膝元町内・藤雲社のそれぞれの会所またはその付近にて休憩。藤雲社若衆、中老会の会所がごった返す程賑やかになります。
余談ですが、藤雲社の渡御行列の出発順は毎年、年番社、大當番社に次いで三番目となっています。(年番、大當番の年を除く)
その理由は、御神輿渡御にて全社屋台が金守神社に集まり、先に記したようにお膝元町内なので、ご祝儀を持って訪れる各社若衆、中老を接待する必要があるため、先に到着していなければならないからです。
御神輿渡御、還御、舞児還しなど、各社屋台の出発順は、毎年祭典前に行なわれる年番会議で、各社社長の話し合いで決められますが、渡御の出発順だけは、上記理由により暗黙の了解となっているようです。
神幸御旅所祭も終了し、各社休憩を取った後は、各社屋台は金守神社を出発。南町、大門、戸綿などへ向かい、各社独自の行動を取ります。
夕闇に包まれかけた午後5時過ぎ、途中から提灯に灯を燈した屋台は会所に戻り、夜祭りの出発に備えることになります。
パート3へ続く・・・
各社屋台のパフォーマンスも見所であり、藤雲社の“おかめひょっとこ”、龍生社の“黄門ちゃま世直し旅”はその代表的なもの。
祭典本部前では御囃子審査が行なわれ、統制の取れた勇壮な屋台の引き廻しや、美しい音色の御囃子などが審査されます。
ちなみに、藤雲社(栄町)は渡御の際、毎年“宮囃子”というお囃子を演奏、“おかめひょっとこ”のてこ舞を披露して、平成元年から18年連続で、栄えある一位に耀いています。
~ 晒布(さらし)に白足袋 欄干に立てば 御簾を背の伊達姿 ~
金守神社到着後、御神宝捧持者、稚児、年番奉仕者、神社担当らが神社本殿に参拝。午後3時20分頃(昨年度までは3時)より、神社本殿にて神幸御旅所祭が催されます。
こちらの祭式には、頭取会長、十四社頭取、神社担当長、年番社長、大當番社長らが参列。
朝日舞、乙女神楽舞、浦安舞の順に、各舞児の舞が奉納されます。
~ この日この時いちずに捧ぐ 氏子は祈り舞児は踊る ~
神幸御旅所祭が行なわれている間、各社若衆、中老などは、金守神社のお膝元町内・藤雲社のそれぞれの会所またはその付近にて休憩。藤雲社若衆、中老会の会所がごった返す程賑やかになります。
余談ですが、藤雲社の渡御行列の出発順は毎年、年番社、大當番社に次いで三番目となっています。(年番、大當番の年を除く)
その理由は、御神輿渡御にて全社屋台が金守神社に集まり、先に記したようにお膝元町内なので、ご祝儀を持って訪れる各社若衆、中老を接待する必要があるため、先に到着していなければならないからです。
御神輿渡御、還御、舞児還しなど、各社屋台の出発順は、毎年祭典前に行なわれる年番会議で、各社社長の話し合いで決められますが、渡御の出発順だけは、上記理由により暗黙の了解となっているようです。
神幸御旅所祭も終了し、各社休憩を取った後は、各社屋台は金守神社を出発。南町、大門、戸綿などへ向かい、各社独自の行動を取ります。
夕闇に包まれかけた午後5時過ぎ、途中から提灯に灯を燈した屋台は会所に戻り、夜祭りの出発に備えることになります。
パート3へ続く・・・
Posted by 遠州森のビープロ at 10:22
[お祭り前の話題]
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