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2006年01月11日

「森のまつり」14町内の歴史“水哉社(本町)”

森のまつり、「14町内の歴史」紹介、第6弾は、“水哉社”(本町町内会)です。

「森のまつり」14町内の歴史“水哉社(本町)”新町、中町、本町という町名は全国どこへ行ってもある。

新町は新しく出来た町だから新町といい、中町はその街の真中に位置するから中町という。
そして本町はもとなる町として、町や村をとりしきる中心となる町につけられる町名である。
森町村の歴史は本町によって造られたといっても過言ではない。

では歴史ある本町の街並を見てみよう。
本町交差点、岡田屋から文誠堂までの両側に旅籠屋が軒を連ね「旅籠町」と呼ばれていた。
旅籠町に古くからあるのは岡田屋隣りの万年屋であり、以前は茶商を営んでいた。
万年屋前の掛川屋は更に古く江戸時代は旅籠屋、明治時代はそば屋、そして現在は書店としてその屋号を残している。

また、その下隣りの三葉屋洋服店は以前“かぎや”という旅籠屋であった。
文誠堂から旧静銀までは本町通りとしてその両側に大店(おおだな)や庄屋が数多くあり、旅籠町角の東隣り、つまり現在のふくや洋品店は代々山中勘左エ門を名乗る庄屋であった。
また大石家は森町屈指の元封家であり、幕末からは古着商も営んでいた。

その他太田屋呉服店、萬屋古着店、竹屋薬種店、武蔵屋製茶店、野尻屋製油店等、ありとあらゆる大店が本町通りを埋めつくしていたのである。

更に本町通り真中で加藤久米吉が蒟蒻を製造していた。普通蒟蒻をかためるのに石灰を用いるが、加藤は木灰を用いて造ったため「森蒟蒻」として特に有名であったという。
この加藤久米吉の親戚筋にあたる下宿の倉島食品が現在この製法を再現している。

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。

次回は、“龍生社”(西幸町町内会)の紹介です。





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