2006年02月01日
「森のまつり」14町内の歴史“鳳雲社(大門)”
森のまつり、「14町内の歴史」紹介、第12弾は、“鳳雲社”(大門町内会)です。
蓮華寺、西脇、西金谷、森山の4地区を合わせて大門というが、以前は蓮華寺の末寺である延命寺を加えた5地区を大門と称されていた。
昔、蓮華寺の大きな山門に人々が集まり、小部落が形成された事からその名があるという。大門の歴史は深い。
天台宗八形山・蓮華寺は慶雲元年(704年)行基上人によって聞基され、古い在住者は総て寺に随身していた。
この蓮華寺歴史民族資料館には今川義元の寄進状や徳川家康の御朱印箱等、数多くの重要文化財が保管されている。
森山は森町発祥の地といわれ、ここに人が住み始めたのが最も古いと考えられている。
現在では“森山焼”としてその名を全国に知られるようになったのである。
西脇は江戸時代、三千石の旗本、土屋主税(つちやちから)の陣屋があったところである。
土屋氏は代々森町村のほか7ケ村の領主を勤めており、陣屋の裏山は陣屋峠として今も人々に親しまれている。
そして「往古森町始記」によれば“蓮華寺南西の谷を西金谷という、いにしへの鋳物師有りし所なりし”とある。
一説によると、西金谷は、鋳物師・山田七郎左衡門が東海道金谷宿より移住して鋳物業を開いた地であり、東海道金谷を東金谷といい、この地を西金谷と云われるようになったという。
後に山田七郎左衡門は徳川家康より鋳物師惣大工職の朱印をいただき、仲町へ出て森町村の鋳物業を盛んにしている。
更に、西脇の八幡神社と西金谷の天満宮は三嶋山に合祀されており、三嶋神社の正式名称を三嶋三社大明神というのである。
大門4地区、共に歴史を持っているのだが、秋葉街道からはずれている為にその発展を見ず、昭和20年代においても4地区合わせて40戸足らずの小部落であった。
大門がいつ頃から森の祭りに参加したのか定かでないが、社の設立以前は蓮華寺、西脇は仲町へ、西金谷、森山は本町へとそれぞれ仲間入りさせてもらっての祭典参加であった。
桑水社の屋台を2町内で引き回していた頃は、高欄後方に「下宿・栄町」の看板を付けたが、大門の場合は「仲町・大門」又は「本町・大門」という看板は付けてもらえなかった。
それ程我慢を強いられたのである。
昭和53年、鳳雲社を設立。鳳凰が翼を広げて天空に舞い上がり、大気に浮遊する白雲を友として飛翔する雄姿にあやかり、発展する大門の前途を願って命名されている。

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。
次回は、“北街社”(新町町内会)の紹介です。
Posted by 遠州森のビープロ at 10:12
[お祭りの歴史・屋台・法被]
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