2006年01月04日
「森のまつり」14町内の歴史“凱生社(天宮)”
森のまつり、「14町内の歴史」紹介、第4弾は、“凱生社”(天宮町内会)です。
こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。
次回は、“睦栄社”(戸綿町内会)の紹介です。
「天宮」この字を何と読むのだろう。
あまのみや、あみのみや、あめのみや、正しくは”あめのみや”である。
“雨の宮”とも称され、法被の腰柄には雨の模様を配している。
天宮神社の大祭(ほうじ祭り)に雨が多い事からこの様に呼ばれたのだという。
天宮神社の歴史は古く、欽明天皇(西暦539~571年)の御代に九州の宗像神社を完成し社殿が建立された。
現在の社殿は1697年に修築され、県指定重要文化財となっている。
また大祭に奉納される十二段舞楽は昭和57年国の重要無形民族文化財に指定され、今日まで伝承されている。
森町村、天宮村、域下村のうちどの村が一番歴史が古いかは定かでないが、神社の回りに人々が集り、同じ氏子の団体が形成されて村が出来上ったと考えると、神社の歴史からいって天宮村が一番古いのであろう。
天宮は本丁、川向、赤松、開運丁、川久保、そして大上という部落から構成されているが、この様な形で完成されたのは江戸時代に入ってからである。その発祥地は犬上であるという説が有力であり、秋葉街道が混雑し出した江戸時代に本通りである本丁、川向、赤松などが出来上ったと考えられる。
こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。
次回は、“睦栄社”(戸綿町内会)の紹介です。
Posted by 遠州森のビープロ at 06:30
[お祭りの歴史・屋台・法被]
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