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2005年12月31日

「森のまつり」14町内の歴史“明開社(明治町)”

森のまつり、「14町内の歴史」紹介。
第3弾は、“明開社”(明治町町内会)です。

「森のまつり」14町内の歴史“明開社(明治町)”明治16年、森町村に新しい町を造る計画が持ち上がった。

天宮西裏から仲町裏までの田園を埋め立て、そこに巾5.4m、長さ数100mの大通りを造り、その両側には数棟の長屋を立て、更に町の中央に警察署を新設しようという大計画である。

実は、当時世の中が不景気であったため、仕事の無い労働者たちの救済計画でもあったのである。
土木機械の無い時代の作業にて、なかなか思うようにはかどらず、大変な事業であった。

明治18年ついに道路が完成した。
明治時代に造られた道路ということで“明治町通り”と命名され、その区分を明治町1丁目、2丁目とし、更に天宮との境を境町と呼ぶようにした。

当時の警察は、見付警察分署として明治10年5月旅籠町の民家におかれたが、明治19年明治町1丁目西側中央に移され、初めて森警察署として新築されたのである。

その後、警察署の南側に本町の大石清一郎が長屋3棟を建て連ね、南側には久永医院を建設。
これに続いて、天宮の野口東作が、2階建4軒の長屋を建設した。
更に、仲町の松井善平が長屋を次々と建設していった。

明治町は、町の有力者たちの手によって、築き上げられたのである。

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。

次回は、“凱生社”(天宮町内会)の紹介です。





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