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2006年10月26日

遠州森のまつり “おまつりの歴史・明治・大正編”

遠州森の祭り・おまつりの歴史紹介。

第2弾は、“明治・大正編”

遠州森のまつり “おまつりの歴史・明治・大正編”文久3年の大事件以降祭りは一旦中止された。
その後、数十年間祭りは中断されたままであったという見方が有力であったが、実は文久の大事件から僅か5年後、つまり明治元年には既に祭りが再開されていたのではないかという説が浮上してきた。

しかし、この資料に関しては町役場当局が公表したものではないため確実性に欠けてしまうが、祭り好きな森町の人々の気質を考えると10年も20年も祭りが中断していたとは考えにくい。
従って明治初期には祭りが再開されたと見るのが妥当であろう。

遠州森のまつり “おまつりの歴史・明治・大正編”残念ながら明治時代初期の祭りに関する資料が非常に少ない。
確実なものとしては、明治16年から現在に至るまで沿海社に受け継がれている祭典記録(沿海社記録帳)がある。

また比雲社には明治9年の比雲社社員名簿が保存されている。
更に、当時中町在住の岡野八郎氏、岡野五郎三郎氏が明治20年から44年まで書き記した日記が発見された。

これらをもとにして明治時代の祭りを振り返ってみたい。

遠州森のまつり “おまつりの歴史・明治・大正編”江戸時代森町村に於て、新町、本町、中町、上河原町、下河原町の屋台があったことは先の古文書によって立証されている。
しかし、屋台の名前を“社”と称していたかどうかは不明である。

明治に入ってから一番古い中町の記録を見ると比雲社と既に書いてある。
少なくとも明治以降は各町内を“社”と称して祭り運営をしていたことは確かである。
この場合“社”にはいくつかの意味があるのだが、その中に“土地の神をまつる祭り”あるいは“仲間”とある。
これをそのまま引用すると“社”とは屋台本体を指すのではなく、三嶋神社という氏神様をまつる氏子たちの同志的団体という意味となる。

ちなみに、浜松祭りでは“組”といい、徳島の阿波踊りでは“連”という。
“社”の方がいかにも祭礼を執り行なう氏子たちの集まりという感じがしてならないがどうだろう。
森町村の先人に感謝申し上げたい。(余談)

明治時代については前述の資料をもとに記載していく。
明治初期に再開された森の祭りに、いつ頃から城下が参加したかは定かでない。
しかし、相当古くから屋台の引き回しをしており、少なくとも明治20年の記録には城下の屋台が確実に登場している。
もしかすると江戸時代に城下村単独で屋台を引き回していた可能性も出てきたのである。

つまり、城下の先代の屋台は明治25年に新築されたことが判明しており、それ以前にも屋台があったのだから屋台の寿命から逆算すると、先々代の屋台は江戸時代に造られたと見てもおかしくないのである。
残念ながらこれを立証する文献は今のところ発見されていないため、仮説にとどめておく。

遠州森のまつり “おまつりの歴史・明治・大正編”さて、明治19年から26年までの間に新屋台建築のラッシュがあった。
先ず明治19年に沿海社が屋台を新築し、その時の値段が10円40銭5厘とある。
翌、明治20年に沿海社が今度は屋台の車輪を新調している。
その値段が13円10銭4厘であったわけだから、いかに車輪が高価で且つ大事なものであったかがうかがえる。

次に明治22年に明開社が屋台を造っている。
記録によれば“明治町ハ本年屋台ヲ求メタレバ”とあるためこの言葉からして屋台を新築したのか、他から購入したのかは定かでない。
いずれにしても、明治18年に開拓されやっと出来上がったこの町に、そのわずか4年後に屋台を造ってしまうとは当時の明治町の人々の熱意が感じられる。

続いて明治24年には先々代の水哉社が新築されている。
11ページの写真がそれであるが、正面支輪に彫りが入っているという当時としては非常に珍しい作りである。
その後水哉社は大正11年にもう一度屋台を新築しているが、その屋台の支輪にはなぜか彫りが入っていない。

翌、明治25年に谷本社と比雲社が屋台を新築している。
共に先代のものであるが、ご存じの通りこの比雲社の屋台は金守神社に保存されており、現在見ることの出来る森町最古の屋台である。

この谷本社と比雲社は同じ明治25年に屋台を造っているのだが面白いことにこの後、大正12年にこの両社は同じ東京白木屋呉服店にて天幕を新調している。
同じ年に屋台を造り、同じ年に同じ所で天幕を新調するとはよほどこの両町内が仲が良かったか、或いは見栄を張り合ったかのどちらかであろう。  続く・・・

・・・続きは、“森の祭り・歴史・明治・大正編” にてご覧下さい。

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。





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