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2006年01月20日

「森のまつり」14町内の屋台“湧水社”

森のまつり、「14町内の屋台」紹介、第9弾は、“湧水社”(南町町内会)です。

新しい町が誕生したとあれば当然屋台が欲しい。
昭和59年6月、屋台建設委員会を発足し、早速具体的な話し合いが進んだ。

「森のまつり」14町内の屋台“湧水社”

資材は樹令300年を経た天宮神社境内の檜材を用い、南町の工匠寺田勝郎がその腕を振った。
塗りは町内在住の村松菊郎、車輪は3代目角千代・村松利雄の会心の作である。

そして彫刻は北陸の名匠2代目流張・志村孝士が彫っている。志村は昭和55年水哉祉の彫刻を始めとし、沿海社の支輪、湧水社、慶雲社、藤雲社そして北街社の彫刻を手掛けている。

実は、志村孝土は寺田勝郎と偶然修善寺の温泉で出会い、寺田に依頼されて森の屋台彫刻を掘り出したというわけである。

志村最初の作品が水哉社であり、その豪放優美な彫刻を見た時周囲の人は息をのんだという。
彫刻は細かく手をかけてある程その評価は高い。
志村は豪快かつ繊細な彫りを水哉社の為に彫った。

ところがいけない、細かすぎた。水哉社屋台前面の彫りは1年目にしてポロポロに欠けてしまったのだ。
寺田は志村に再度頼んだ。
「森の屋台は引き回しが荒い。申し訳ないがもう少し頑丈な彫りを彫ってもらえませんか。」
そして出来上がったのが湧水社の彫刻である。

右の御簾脇には鬼の大将、左の御簾脇には小鬼を退治する鐘馗神。なるほど、どっしりとしている。
これには邪鬼を払う意味があるという。

他にも湧水社の彫りには随所にその特徴が生かされている。

正面欄間には風神雷神がいる。
真中に2人の風神、左右に1人づつ雷神がいるが、この雷神がおもしろい。
普通雷神は頭の上に小さな連太鼓をかついでいるのだが、この雷神は森の祭りで使うような大きな太鼓を下に置いてたたいている。
しかもその太鼓にはちゃんと”南”と彫ってあるのだ。

また左右の欄間には「波に麒麟」。
キリンといっても動物園にいるキリンではない。キリンビールのラベルに描かれているあのキリンである。
そして後欄間には「波に龍」を刻み、三方向に波、つまり三波(みなみ)を現わしている。

更に左右の脇障子には「獅子の子落とし」が彫られているが、脇障子に「獅子の子落とし」があるのは他に凱生社と睦栄社である。

これには獅子は子供を生むと、その子供を高い崖の上から落とし、自分の力でよじ登ってきた子供だけを育てる、という言い伝えがあり、町内の子供達がどんな困難にも討ち勝って強い子に育ってほしい、という親たちの願いが込められているという。

最後にもう1つ彫りの特徴をお伝えしよう。

屋台後方の木鼻であるが、ここには昇り龍がまるで湧水社の屋台を見守るかのように、前方をぐっとにらんでいる。

木鼻には獅子か漠(ばく)が付けられる事が多く、ここに龍を付けているのは他に凱生社と沿海社があるが、昇り龍は湧水社だけの特徴である。

勇壮的な屋台に豪放優美な彫刻のバランスが実にいい。

地図はこちら

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。

次回は、“慶雲社”(向天方町内会)の紹介です。





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