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2008年01月10日

新春時代劇「天と地と」

6日夜にテレビ朝日系列で放映された、新春大型時代劇・「天と地と」
甲斐国・武田信玄と、北信濃の地・川中島で覇権を争った越後の戦国武将、上杉謙信の物語です。

昨年末まで一年間、NHK大河ドラマで「風林火山」が放映されていましたが、こちらは山本勘助、武田信玄が主役。

当然ながら、武田方の出来事、人間模様が物語として描かれていて、上杉方は、謎めいたところがありました。

そんなこともあって、このドラマは上杉方の物語、人間模様が詳しく描写されていることもあって、非常に興味深く、放映前から楽しみにしていました。

以下、物語のあらすじです・・・

時は戦国。足利幕府の権威は崩れ、下克上の世の中。
そんな時代に、越後国から彗星のごとく現れた戦国武将・長尾景虎(後の上杉謙信)。
幼き頃に仏門に出され、不遇の時代を送っていた景虎であったが、そこで毘沙門天の教えを乞い、親代わりでもあった重臣・宇佐美定行の教育の元、徐々にその頭角を現していた。

乱世の世、各地では戦国武将たちが支配権を巡っての争いが絶えず行なわれていた。
越後の隣国・信濃では、甲斐国・武田晴信(後の信玄)による侵攻が進んでいて、このままでは我が国・越後も危ういと危惧した景虎は、守護代である兄・長尾晴景に下知を賜わろうとするが、晴景は、側室の藤紫にうつつを抜かして、興味を示そうとしない。
そんな晴景に対し景虎は、「酒と女にうつつを抜かし・・・」と抗議をしてしまい、晴景の怒りを買ってしまうことに・・・

今や、守護代の権威をも失墜させてしまった晴景の姿を見て、己自身が越後を統一して、晴信の野望を打ち砕く、それまでは妻は娶らん・・・ と固く決意する景虎であった。

そんな中、景虎は宇佐美の娘で幼なじみでもある、乃美(なみ)と久方ぶりに対面する。
美しい娘に成長した、乃美に魅せられてしまった景虎は、乃美と身体を交える夢を見てしまう・・・
夢にうなされ掛けた景虎の前に出てきたのは、崇拝する毘沙門天・・・
女の色香に、決意が揺らいだことを厳しく咎められる・・・

毘沙門天に渇を入れられ、しばらく自己嫌悪に陥っていた景虎であったが、気持ちを入れ替え、宿敵・晴信との対決に決意を新たにする。
景虎の決意は功を奏し、徐々に越後国内を統一・・・ 後は兄・晴景が、改心して守護代としての威信を取り戻してくれればと、足繁く晴景の元に赴く景虎であったが、晴景は一向に改心の気配を見せない。
またもや言い争いになってしまい、そこで晴景の口から出た、「そなたは不義の子だ」の一言に、景虎はひどく落ち込みその場を立ち去る。
それは根も葉もないことであり、景虎の事を疎ましく思っていた藤紫が、兄弟の仲をたがわせようと晴景に吹き込んだことであった。

そしてある夜、景虎は何者かに命を狙われる。
何と、晴景が差し向けた刺客であったのだ・・・
堪忍袋の尾が切れた景虎は、兄を成敗することを決意。晴景の居城・春日山城を包囲・・・ 
景虎軍の圧倒的兵力の前に、晴景は程なく降参・・・ 隠居となった。

晴景に変わり、越後国守護代となった景虎は、その後も持ち前のカリスマ性を発揮して瞬く間に越後を統一。
一方で武田晴信も、持ち前の軍事力を活かして信濃を制圧。その手は北信濃、越後国境にまで延びていた。

晴信の北信濃侵攻により、国を追われた信濃国守護・小笠原長時、同じく北信濃の豪族・村上義清などの武将が、次々と越後に落ち延び、景虎の元を頼ることに・・・
一方で関東では、相模国・北条氏康が勢力を伸ばし始め、時の関東管領・上杉憲政が景虎を頼って越後へ落ち延びてきた。

景虎は、越後守護として自国を統一こそしたが、他国の領土を奪うような野心は持っていなかった。が、信濃、関東など、隣国が脅かされている時の状況で、自国の領土を脅かされることだけは、どうしても避けなければならなかった。

かくして景虎は、村上義清救援のため北信濃へ出兵し、第一次川中島の戦いが勃発。
武田晴信との始めての対決となったこの戦いは、両軍奮闘するも未決着に終わった。

一年後、再び武田軍と川中島で相見えるが、両軍・対峙のみで決着付かず・・・ 駿河国守護・今川義元の調停の元、両者和睦という結果に。(第二次川中島の戦い)
この頃、景虎は上洛を果たし、上杉憲政から要請されていた憲政との養子縁組、関東管領職引継ぎを申請。朝廷から正式に許可を得る。

義に厚く、家臣からの信頼性も持ち合わせていた景虎であったが、一方で度重なる隣国からの調略による一部の家臣の謀反、家臣同士の小競り合いなどが多発・・・ そんな状況に辟易した景虎は、隠居して出家するべく高野山へ向かう。
慌てた家臣団は後を追い、家臣の一人で義兄である長尾政景の説得により越後へ戻る。

翌年、三たび川中島で武田軍と相見えるも、晴信側室・諏訪御前の死去に伴い、武田軍が撤退。またしても未決着に。(第三次川中島の戦い)

そして1561年、予てから上杉憲政から要請されていた北条征伐の目的で関東へ出兵。小田原城を包囲するも、落城には至らず。
この時、景虎は鎌倉・鶴岡八幡宮で正式に関東管領職に就任。名を上杉政虎と改める。

そして同年秋、満を持して川中島で武田軍と激突。(第四次川中島の戦い)
この戦いは、五度あった戦いの中で一番に壮絶を極めたと言われ、政虎自らが出家して名を改めた武田信玄控える武田本陣へ・・・ 
馬上から斬りつける政虎、軍配でかわす信玄・・・ 政虎、信玄一騎打ち!

物語はここで終了・・・ この後の上杉謙信、武田信玄の生き様は、テロップで紹介されたのみでした。

この後両者は、五たび川中島で相間見えますが、対陣のみで終わり、結局両者の決着は最後まで付きませんでした。

武田信玄は、この後矛先を駿河、遠江、三河に向け、その勢いで上洛、天下統一を目指しますが、志半ばで病にて没します。
一方、上杉謙信は、越中を統一し再び関東進出を目指しますが、やはり志半ばで病没・・・ 信玄の死から五年後、享年49。

戦った戦では、ただの一度も負けることの無かった謙信でしたが、天下統一などの野望は無く、「私利私欲に乱れた世に正しき秩序を回復する」という思いで、越後、越中、そして関東を治めようとしていたと言われています。
すでに室町幕府の権威は衰え、名ばかりの役職であった関東管領職を引き継いだのも、そういった謙信の気持ちの表れだったのかもしれません。

そんな謙信と、まさに対極の側にいた武田信玄に対し、正義感あふれる謙信は、どうしても信玄を許すことが出来なかったのかもしれません。
ただ一方で、駿河侵攻で今川と敵対し塩の供給を止められた甲斐、信濃に対し、越後の塩を送ったという説は、「敵に塩を送る」というエピソードとして残されています。

生涯妻を娶らず、義に厚く、(関東管領職を引き継ぐなど)室町幕府の格式を重んじ、正義を貫いた上杉謙信。
もう十年長生きをしていたら、当時の歴史も大きく変わっていたかもしれないと言われています・・・

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Posted by 遠州森のビープロ at 09:18
[歴史ドラマ諸々]
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この記事へのコメント

■ とんもー

おはようございます。
小さい頃から屋台に乗ってる人形に興味があり、歴史好きになりました!

この番組見ましたよ!!

前の日くらいにやってた、信長、秀吉、家康のヤツも見逃しませんでした!

Posted by とんもー at 2008年01月10日 09:41

■ ビープロ

僕も、歴史ものが好きになったきっかけは、お祭りの屋台の山車人形からきています。
山車のお題目を見て、「これはどういう物語なんだろう・・・」と興味を持ちはじめて、気付いたときには、歴史ものに結構はまってました。(^-^ゞ

Posted by ビープロ at 2008年01月11日 14:03