2008年01月08日
大河ドラマ“篤姫”第1回「天命の子」
いよいよ今週から始まった、今年のNHK大河ドラマ“篤姫”。
記念すべき第一回目のOAは、「天命の子」。
時は幕末、天保6年(1835年)。
薩摩国・鹿児島で、一人の女の子が誕生した。
薩摩藩主・島津家分家の、今和泉・島津忠剛の長女。於一(おかつ)と名付けられたその娘は、後に徳川幕府十三代将軍・徳川家定の正室となる、天璋院篤姫である。
病弱気味な三人の兄たちとは対照的に、ややおてんばな所がたまに傷ながら、すくすくと育っていく。
好奇心は旺盛。一方で、飢饉で飢えに苦しんでいる農民に同情し、食事をとることを拒んだりするような、優しい娘に成長していく。
時は流れ・・・
相変わらず薩摩藩は、厳しい財政状況に陥っていた。
家老職・調所広郷は、藩の財政改革のため、かなり厳しい改革を断行。
この改革は、農民たちをかなり圧迫していた。
程なく忠剛の元に、藩の役所で農政を担当していた西郷吉之助(後の隆盛)が訪ねてくる。
吉之助は、農民たちの苦しい生活を訴え、間に立たされた忠剛は思い悩むことに・・・ これを見た調所は、農民に対して手ぬるいとして、忠剛に処分を下す。
屋敷の一室に籠り、ひたすら謹慎生活を送る父・忠剛の様を見た於一は、いても立ってもいられず調所の屋敷に乗り込むという、無謀な行動に出るのだが・・・
奇しくも、薩摩藩跡継ぎである島津斉彬の、初めてのお国入りと時を同じくして生を受けた於一。
於一の誕生をたいそう喜んだ斉彬は、同じ年に生まれた肝付兼善の息子・尚五郎(後の小松帯刀)と於一に、御守を授けました。
やがて、立派に成長した於一と尚五郎は、ふとしたきっかけで出会い、お互い同じ御守を持っていることに親近感を覚え、親しくなっていきます。
しかし、於一にはこの後、天命とも言える運命が待ち構えているのです・・・
◇大河ドラマ“篤姫”トラックバックピープル
◇大河ドラマ“篤姫”主なリンク集
記念すべき第一回目のOAは、「天命の子」。
時は幕末、天保6年(1835年)。
薩摩国・鹿児島で、一人の女の子が誕生した。
薩摩藩主・島津家分家の、今和泉・島津忠剛の長女。於一(おかつ)と名付けられたその娘は、後に徳川幕府十三代将軍・徳川家定の正室となる、天璋院篤姫である。
病弱気味な三人の兄たちとは対照的に、ややおてんばな所がたまに傷ながら、すくすくと育っていく。
好奇心は旺盛。一方で、飢饉で飢えに苦しんでいる農民に同情し、食事をとることを拒んだりするような、優しい娘に成長していく。
時は流れ・・・
相変わらず薩摩藩は、厳しい財政状況に陥っていた。
家老職・調所広郷は、藩の財政改革のため、かなり厳しい改革を断行。
この改革は、農民たちをかなり圧迫していた。
程なく忠剛の元に、藩の役所で農政を担当していた西郷吉之助(後の隆盛)が訪ねてくる。
吉之助は、農民たちの苦しい生活を訴え、間に立たされた忠剛は思い悩むことに・・・ これを見た調所は、農民に対して手ぬるいとして、忠剛に処分を下す。
屋敷の一室に籠り、ひたすら謹慎生活を送る父・忠剛の様を見た於一は、いても立ってもいられず調所の屋敷に乗り込むという、無謀な行動に出るのだが・・・
奇しくも、薩摩藩跡継ぎである島津斉彬の、初めてのお国入りと時を同じくして生を受けた於一。
於一の誕生をたいそう喜んだ斉彬は、同じ年に生まれた肝付兼善の息子・尚五郎(後の小松帯刀)と於一に、御守を授けました。
やがて、立派に成長した於一と尚五郎は、ふとしたきっかけで出会い、お互い同じ御守を持っていることに親近感を覚え、親しくなっていきます。
しかし、於一にはこの後、天命とも言える運命が待ち構えているのです・・・
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大河ドラマ“篤姫”関連書籍
大河ドラマ“篤姫”オリジナルサントラ
大河ドラマ“篤姫”オリジナルサントラ
Posted by 遠州森のビープロ at 09:46
[歴史ドラマ諸々]
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篤姫「天命の子」 こんばんは。 今年も大河がはじまってしまいました。 「功名が辻」の放映のときにブログをはじめ、大河感想も3本目に入りました。 大河感想を一話から書くのはは... |
篤姫「天命の子」【『ならうよりなれろ!!』】at 2008年01月08日 18:00