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2007年12月03日

大河ドラマ“風林火山”第48回 「いざ川中島」

4日ぶりの記事投稿は、前回と同じく、NHK大河ドラマ “風林火山”シリーズ。
今週のOAは、第48回 「いざ川中島」

永禄4年(1561)8月、ついに上杉政虎(後の謙信)は軍を率いて川中島へと出陣。 この知らせは、海津城を守る香坂弾正より甲斐の武田信玄の元へ伝えられた。
知らせを聞いた信玄は、直ちに出陣を決意。家臣たちに下知を出す。

軍師・山本勘助も御館様・信玄と共に川中島へと・・・ 出陣の朝、勘助は養女・リツから香坂の元へ嫁ぐことを決めたと打ち明けられる。
「わしが戻ったら祝言じゃ!」の言葉を残し、リツに見送られながら、勘助は決戦へと旅立っていく。

川中島への途上、勘助は諏訪への立ち寄りを許された。
亡き信玄側室・由布姫に出陣の報告、そして、姫の子である元服した諏訪勝頼(後の武田勝頼)初陣を、姫の墓前にて報告・・・ そこには姫の幻影が・・・ 「勘助、なりませぬ・・・」 そこに勇んで現れた勝頼。
勘助は咄嗟に、「勝頼様の御初陣は、まだ一年先となります。」と嘘をつく。
納得が出来ない勝頼であったが、「御館様の下知にございます。」と何とか説き伏せ、領内へ留めさせることに。

川中島へと布陣した政虎率いる上杉軍は、海津城の南・妻女山に本陣を布いていた。
城の側の山に陣を布くということは、退路を断たれるということになる。
直ちに攻撃を仕掛ければ、武田軍の勝利は見えたようなもの。逸る家臣たちは、先手を仕掛けるよう進言するが、信玄、そして勘助は、政虎、そして上杉軍師・宇佐美定満の意図を見抜いていた。
上杉軍は武田を誘き出そうと、あえて妻女山に陣を布いたのだ。
「先に動いたほうが負け」・・・ 両軍は、にらみ合いの形となった。

対陣してから二週間ほど経ったある日、武田本陣に思いがけない知らせが届く。先の戦で、行方が分からなくなっていた原虎胤が、近くの百姓の元に身を寄せているというのだ。
知らせを聞いた勘助は、早速原の元へと駆けつける。原は、おふくという老婆の家で傷を癒していた。

川中島には、濃い霧が出るときがあると聞いていた勘助は、その霧がいつ出るのかおふくに問いただす。
おふくのは勘助に、情報を教える代わりに金を要求。勘助はおふくに金を差し出し・・・ そしておふくは、明日の早朝だと答える。 勘助の腹は決まった!

布陣して半月余り、敵に気づかれずに動く策を探っていた勘助に、思わぬ形で上策が転がり込みます。
濃い霧の中、陣を二手に分け片方は敵の背後から山の頂上へ切り込み、もう片方は山の麓で敵を待ち受ける・・・ 挟み撃ちにして敵を追い込もうという、“啄木鳥戦法”。

しかし、これには思わぬ落とし穴が・・・ おふくの言葉に偽りは無かったのですが、おふくにとってみれば、武田、上杉どちらの味方でもなく、しかもそれは金のためであった・・・ 原虎胤を助けたのも、勘助に情報を教えたのも。
武田方の勘助に情報を教えたということは、上杉側が情報入手に、金を渡せば当然・・・
勝利を確信し、闘志も露わに空を睨みつける勘助でしたが、おふくのしたたかさによって痛手を被ることになってしまうのです・・・

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Posted by 遠州森のビープロ at 09:45
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