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2007年11月29日

大河ドラマ“風林火山”第47回 「決戦前夜」

NHK大河ドラマ “風林火山”

今週のOAは、第47回 「決戦前夜」
※先週のOAを見逃してしまったので、二週間ぶりの投稿となります。

小田原・北条家を攻め、上杉憲政から関東管領職を引き継いだ長尾景虎(後の上杉謙信)は、名を上杉政虎と改める。
そして、上杉家ゆかりの鎌倉・鶴岡八幡宮にて盛大な就任式が催された。

その就任式の帰路、政虎一行の行列に皆がひれ伏す中、一人だけ下馬をせずに行列を見守っていた男がいた。
武蔵国武将・成田長泰である。
成田家は古来、藤原家の流れをひく名門で、古くは八幡太郎義家(源義家)にも下馬をせず挨拶したという家門であるということから、長泰は古例に従い下馬をしなかったのである。
それを知らぬ政虎は、下馬せぬことを無礼極まりないと激怒。長泰を鞭で打ち据え、烏帽子を打ち落としてしまう。
憤慨した長泰は、政虎を見限ることを決意。兵を引いて居城に戻ってしまった。

人質として残された長泰正室・伊勢姫は、政虎の尋問を受けることに・・・
そこで伊勢姫は、成田家の古来からの慣わしを知らぬ政虎を罵る。激怒し姫を討ち取ってしまうのではないかと思われた政虎であったが、姫の言葉に己の慢心を悟り、清くこれを受け入れる。
そして政虎は、小田原の包囲の長引きが元で、動揺から次々と逃げ出した関東の武将たちの様もあったことから、越後へ帰還することを決意。この後来るであろう、武田との決戦に備えることに心を新たにした。

一方で武田信玄は、政虎の関東出兵の隙を見て同盟を結んでいる北条への援護という名目もあったが、北信濃の統一、越後への制圧を企て、山本勘助の策により川中島に海津城を築城。対上杉の拠点とする。
決戦が近付きつつあることを感じとった勘助は、養女としたリツに香坂弾正との祝言を勧める。
自身亡き後、山本家を継ぐ男子を授けてもらうことを香坂に託し、香坂も快く受け入れる。

そして永禄4年(1561)8月、上杉軍一万八千は信濃川中島を目指し挙兵。
この知らせは、海津城を守る香坂より即座に甲府へ伝えられる。
信玄は全ての重臣を集め、決戦に向けての評定に臨む・・・

いよいよ、武田信玄、上杉謙信の両雄宿命の対決、第四次・川中島の戦いが勃発となります。
武田軍二万、上杉軍一万八千という大規模な軍勢の元、約一月、双方で七千余の戦死者を出したと言われる、歴史上でもあまりにも有名なこの川中島の戦い・・・
信玄弟・武田信繁、諸角虎定、初鹿野源五郎ら武田重臣がこの地で討死。 そして勘助も、ここで壮絶な最期を遂げることになります・・・

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