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2010年05月14日

大河ドラマ・龍馬伝 第18回 「海軍を作ろう!」

NHK大河ドラマ・龍馬伝
5月2日のOAは、第18回 「海軍を作ろう!」。

時は、文久3年(1863年)。
同年元旦、品川から出発した幕府の蒸気船・順動丸に乗り込んだ坂本龍馬は、近藤長次郎や師・勝麟太郎と共に、海路・大坂へと向かっていました。

幕府海軍は、神戸村に新しい操練所を設けることになっていましたが、その操練所が出来るまでの間、龍馬たちは大坂・専称寺の勝塾にて学ぶことに。

早速、龍馬たちは勝塾の訓練生集めのため、大坂の町へと繰り出しますが、そこで偶然、龍馬と共に土佐を脱藩した沢村惣之丞と出くわします。 龍馬は、沢村を訓練生にと誘い、「幕府のために働くなど御免だ!」と沢村は固辞しますが、「異国の侵略から守るための海軍であり、日本を守りたいと思う心は一緒!」との龍馬の説得に沢村も納得。 訓練生に加わることを承諾します。

勝塾での勉学を本格的に始めた龍馬たち。 しかし、龍馬は沢村を含めて他の訓練生たちの異変に気付きます。
「これを覚えたら異人たちを倒せる!」 皆はそう思い込んでいたのです。
「勝塾は戦をするために学ぶのではない。 勝先生が考えているのは異国と喧嘩をしないための海軍だ!」 との龍馬の訴えは、塾頭にすら相手にされない始末・・・ 海軍操練所の前途は、まだまだ多難な様相を占めていました。

一方、江戸城では第14代将軍・徳川家茂の上洛問題で揺れていました。
帝の前で攘夷実行を明言することをためらう家茂に、将軍後継職・一橋慶喜の、「口先だけで問題無い」との助言に家茂も納得し、上洛を決意します。
しかし、そんな幕府の考えを武市半平太は読んでいました。
京・三条邸で三条実美らと密談していた武市は、「攘夷実行の期日を決めるまでは京から帰さないようにすればいい・・・」と、三条に進言します。

そして、文久3年3月7日、徳川将軍として229年ぶりとなる、家茂の上洛が果たされました。
孝明天皇の御前にて、攘夷実行を明言した徳川家茂。
しかし、予てからの打ち合わせ通り、期日が決まるまで江戸に戻らず、京に留まるよう・・・ との朝廷からの命に、家茂や慶喜をはじめとした幕府首脳たちは、困惑を隠せませんでした。

そんな情勢を知った、前土佐藩主・山内容堂。
過激な攘夷派を嫌う容堂は、武市の動きを封じるために、土佐勤王党を分裂させる策略を考えていました。

ある日、容堂に呼び出された武市は、藩の為に働いたことへのお褒めの言葉をもらい、褒美の菓子を賜ります。
喜ぶ武市に対し、容堂は、海軍操練所に勤皇党からも訓練生を出せと命じ、思いもしない命に、武市は困惑を隠すことが出来ず・・・ 更に容堂は、勝と共に脱藩浪士が訪ねてきた旨も話し、その浪士が龍馬だと見抜いていた容堂は、龍馬の脱藩を許すと、武市の前で宣言するのです・・・
そして、容堂は勤王党のナンバー2である平井収二郎にも、武市から離反させようとする策をめぐらせていました・・・

大坂の、大和屋という商家に寝泊まりしていた、龍馬と長次郎。
その大和屋に、望月亀弥太、千屋寅之助、そして龍馬の甥である高松太郎の3人の勤王党の志士が現れます。
3人は、武市の命を受け、勝塾へ入塾するためやってきたのです。
喜んで迎え入れた龍馬たちでしたが、3人が容堂公の命で来たということを知り、龍馬は一抹の不安を感じます。

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攘夷実現のために、勝が邪魔だと考えた武市は、岡田以蔵を勝のもとへと派遣します。
勝のもとに現れた以蔵。 勝と一緒に居たのは龍馬・・・
龍馬がいることを知った以蔵は逃げかえろうとしますが、訪ねてきたのが以蔵だと知った龍馬に引き留められてしまいます。

以蔵が、自分を斬りに来たということを悟っていた勝は、自分の思想を以蔵に説き、以蔵はあっさりと管下されてしまうのです。 そんな純粋な心を持った以蔵に、龍馬は勝の用心棒になることをすすめ、勝にも歓迎されてしまい、訳も分からぬまま、勝の用心棒とされてしまった以蔵・・・ 「以蔵、勝先生をたのむき!」 そう言って、龍馬は大坂へと帰っていきました。

一方、武市は再度容堂との目通りを申し入れ、容堂に謁見。
攘夷実行が成された後は徳川と並んで、土佐、薩摩、長州、越前が力を合わせて政を行い、容堂公が日本の舵取りを行うべき・・・ と、武市は己の考えを進言しますが、関ヶ原以降、恩のある徳川将軍家と並ぶなど、おこがましいにも程があると、全く相手にされません。
更に容堂は、自分はもう土佐へ帰国すると告げ、武市は愕然となりながら、ただ見送るしかありませんでした・・・

そして、文久3年4月20日。 再び帝に謁見した家茂は、20日後の5月10日に攘夷を決行すると明言しますが・・・

遂に始まった怪物・容堂の反撃・・・
人斬りという不名誉な役目に嫌気がさしていた以蔵、ひたすら武市に忠義をはらい、ちょっとした迷いで魔が差し、武市への裏切り行為を働いてしまった収二郎・・・ 武市が築き上げてきた土佐勤王党は、すでに内部分裂という空中分解状態に陥っていたのです。
それまで自分の志しを信じ、駆け上がってきた武市には、後は下り坂が待ち受けているだけでした・・・

勝麟太郎という師を得、海軍設立に向け意気が上がる龍馬も、武市の身の上が気に掛けずにはいられず・・・ 龍馬と武市、今後この二人の運命は、皮肉という形で変わっていくのです・・・

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