2009年11月25日
大河ドラマ・天地人 最終回「愛を掲げよ」
NHK大河ドラマ・天地人。
今週のOAは、最終回「愛を掲げよ」。
時は慶長20年(1615年)夏。
大坂の役も終結し、天下はようやく泰平の時代に向かおうとしていました。
米沢に戻った上杉景勝と直江兼続も、藩の改革に本格的に着手。
10年来に渡り、こつこつと積み上げてきたものが徐々に功を奏し、次第に活気付いたものになってきました。
竹松から名を改めた兼続嫡男・直江景明も、若い家臣らと共に藩の財を高めようと様々な改革を行ない始め、景明の成長に、兼続も目を細めます。
しかし、全てが順風に進んでいると思われたその矢先、景明が病に倒れてしまいます。
元来、病弱な身体であった景明でしたが、何度も窮地を克服して立派に成長し、これからだ・・・ と思った矢先の出来事に、父・兼続、母・お船は動揺を隠しきれませんでした。
兼続とお船の必死の看病も虚しく、景明は帰らぬ人となってしまいます・・・
二人の娘、お松、お梅と立て続けに喪い、そして景明までもが・・・ 兼続とお船のショックは、はかり知れないものでした。
特にお船は、屋敷に閉じこもり気味となってしまい、兼続が勇気付けても、立ち直りの兆しは見えてはきませんでした・・・
翌年、兼続は伊達政宗と共に駿府城に赴きます。
余命幾ばくも無いと、自ら悟った大御所・徳川家康が、両者に将軍・徳川秀忠の指南役になって欲しいと頼み込んできたのです。
かつては、敵味方に分かれて雌雄を決した相手でしたが、家康の子を思う親心、そして天下安泰のためにと、兼続はそのお役目を快く引き受けたのです。
そんな兼続を見て、お船も何かお役目をと考え、景勝嫡男・玉丸のお世話をしたいと申し出ます。
お船の思いに、景勝と兼続も承諾。 かくして兼続とお船は、江戸へと旅立っていったのでした・・・
やがて、家康は75年の生涯を閉じ大往生。 兼続は、秀忠の指南役として江戸城に入ります。
城内の若い家臣たちの間では、兼続の上杉家での武勇伝は評判となっていて、若者たちはごぞって戦国の英傑たちの話を兼続にせがみ、兼続も、後の世に伝えよとの、盟友・石田三成の遺言を思い出し、若者たちに話を聞かせたのです・・・
今週のOAは、最終回「愛を掲げよ」。
時は慶長20年(1615年)夏。
大坂の役も終結し、天下はようやく泰平の時代に向かおうとしていました。
米沢に戻った上杉景勝と直江兼続も、藩の改革に本格的に着手。
10年来に渡り、こつこつと積み上げてきたものが徐々に功を奏し、次第に活気付いたものになってきました。
竹松から名を改めた兼続嫡男・直江景明も、若い家臣らと共に藩の財を高めようと様々な改革を行ない始め、景明の成長に、兼続も目を細めます。
しかし、全てが順風に進んでいると思われたその矢先、景明が病に倒れてしまいます。
元来、病弱な身体であった景明でしたが、何度も窮地を克服して立派に成長し、これからだ・・・ と思った矢先の出来事に、父・兼続、母・お船は動揺を隠しきれませんでした。
兼続とお船の必死の看病も虚しく、景明は帰らぬ人となってしまいます・・・
二人の娘、お松、お梅と立て続けに喪い、そして景明までもが・・・ 兼続とお船のショックは、はかり知れないものでした。
特にお船は、屋敷に閉じこもり気味となってしまい、兼続が勇気付けても、立ち直りの兆しは見えてはきませんでした・・・
翌年、兼続は伊達政宗と共に駿府城に赴きます。
余命幾ばくも無いと、自ら悟った大御所・徳川家康が、両者に将軍・徳川秀忠の指南役になって欲しいと頼み込んできたのです。
かつては、敵味方に分かれて雌雄を決した相手でしたが、家康の子を思う親心、そして天下安泰のためにと、兼続はそのお役目を快く引き受けたのです。
そんな兼続を見て、お船も何かお役目をと考え、景勝嫡男・玉丸のお世話をしたいと申し出ます。
お船の思いに、景勝と兼続も承諾。 かくして兼続とお船は、江戸へと旅立っていったのでした・・・
やがて、家康は75年の生涯を閉じ大往生。 兼続は、秀忠の指南役として江戸城に入ります。
城内の若い家臣たちの間では、兼続の上杉家での武勇伝は評判となっていて、若者たちはごぞって戦国の英傑たちの話を兼続にせがみ、兼続も、後の世に伝えよとの、盟友・石田三成の遺言を思い出し、若者たちに話を聞かせたのです・・・
時は流れて・・・ 兼続は、米沢初の学問所となる「禅林文庫」を、自らの私財を投じ創設。 同時に、政の一線から身を退くことを決めます。
そして、兼続は江戸のお船のもとへ・・・ 水入らずで、故郷・越後への旅に出かけるのです。
久しぶりに訪れた越後・・・ 懐かしい景色に感慨無量となる二人。
波乱万丈、山あり谷ありの人生であったが、共に夫婦として幸せだったことを確かめ合うのでした・・・
その後、米沢に戻った兼続は、景勝に峠の岩場へと案内されます。
そこは、二人の師である上杉謙信公がよく篭っていた、春日山城内の岩場に似ていました。
景勝は、ここに謙信公を祀ると兼続に告げ・・・ 二人の胸には、幼き頃から主従として苦楽を共にしてきた、これまでの日々が去来していたのでした。
そして、元和5年(1620年)の晩秋の穏やかな日、兼続とお船は、屋敷の庭にて見事に色付いた紅葉の木を観ていました。
「わしは紅葉になれたかの・・・」つぶやくように兼続が問いかけます。
木から落ちてきた紅葉の葉を拾い、お船は兼続に手渡そうとしますが・・・
穏やかな表情のまま、兼続は静かに息を引き取ったのでした・・・ 享年60。
戦国の世に生まれ、時代に翻弄されながらも、師と仰いだ上杉謙信、そして終生主として仕えた上杉景勝の「義」を支え、自らは仁愛、愛民の「愛」を追い求めた兼続の生涯・・・ 時代は大きく動いても、兼続の「愛」は終生変わらないものだったのです。
景明の早世や、本多政重との養子縁組解消もあり、兼続の死後、直江家は断絶となりました。
しかし、何よりも民のことを考え、万民が安心して暮らせる世の中を作ろうと努めてきた直江兼続の名は、後々の世まで語り継がれることとなったのです・・・
そして、兼続は江戸のお船のもとへ・・・ 水入らずで、故郷・越後への旅に出かけるのです。
久しぶりに訪れた越後・・・ 懐かしい景色に感慨無量となる二人。
波乱万丈、山あり谷ありの人生であったが、共に夫婦として幸せだったことを確かめ合うのでした・・・
その後、米沢に戻った兼続は、景勝に峠の岩場へと案内されます。
そこは、二人の師である上杉謙信公がよく篭っていた、春日山城内の岩場に似ていました。
景勝は、ここに謙信公を祀ると兼続に告げ・・・ 二人の胸には、幼き頃から主従として苦楽を共にしてきた、これまでの日々が去来していたのでした。
そして、元和5年(1620年)の晩秋の穏やかな日、兼続とお船は、屋敷の庭にて見事に色付いた紅葉の木を観ていました。
「わしは紅葉になれたかの・・・」つぶやくように兼続が問いかけます。
木から落ちてきた紅葉の葉を拾い、お船は兼続に手渡そうとしますが・・・
穏やかな表情のまま、兼続は静かに息を引き取ったのでした・・・ 享年60。
戦国の世に生まれ、時代に翻弄されながらも、師と仰いだ上杉謙信、そして終生主として仕えた上杉景勝の「義」を支え、自らは仁愛、愛民の「愛」を追い求めた兼続の生涯・・・ 時代は大きく動いても、兼続の「愛」は終生変わらないものだったのです。
景明の早世や、本多政重との養子縁組解消もあり、兼続の死後、直江家は断絶となりました。
しかし、何よりも民のことを考え、万民が安心して暮らせる世の中を作ろうと努めてきた直江兼続の名は、後々の世まで語り継がれることとなったのです・・・
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Posted by 遠州森のビープロ at 10:08
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