2009年07月15日
大河ドラマ・天地人 第28回「北の独眼竜」
NHK大河ドラマ・天地人。
今週のOAは、第28回「北の独眼竜」。
時は、天正16年(1588年)。
出産を控え、直江家の居城・与板城に戻っていたお船のもとに、直江兼続父・樋口惣右衛門が後妻のよしと共に訪ねてきます。
家老職で多忙を極めている兼続の代わりにと、身を案じてくれる惣右衛門。
お船は、必ず丈夫な子を産むと約束するのです。
一方で、兼続は佐渡平定に向けての準備に追われていました。
内乱の続く佐渡を平定することの了承を、関白・豊臣秀吉から賜っていた上杉景勝は、それを兼続に命じていたのです。
そんな折、京に滞留している大国実頼から、兼続のもとに書状が届きます。
それは、未だ上洛を拒み続け、それどころか勢力拡大を目論もうとしている伊達を説得せよとの内容でした。
兼続は、景勝と相談したうえで出羽・米沢に出向き、伊達政宗を説得することを決意します。
米沢城に出向いた兼続は、政宗と対面。
もはや武力で天下を治める時代ではないと、兼続は政宗を説得しますが、武力での天下取りの野心を持つ政宗が取り合うはずもなく、逆に政宗は、「越後をくれるというのなら考えてもいい」とまで言い放ちます。
その危険なほどまでの自信に満ち溢れた姿に、兼続はかつて同じように武力で天下を治めようとした、織田信長の影を見るのです。
天の時、地の利を備えながら、人の心を無視し志し半ばで倒れた信長のことを話しながら、「力では人の心は掴めない」と説き、「政宗殿のお考えはもはや時代遅れ」と、きっぱり言い切るのです。
その言葉に政宗は激高。 太刀を抜いて兼続に斬りかかろうとしますが、そこに現れた正室・愛姫の姿を見た政宗は、振り下ろそうとした太刀をおさめます。
太刀を振りかざしても動じない兼続の姿に感服した政宗は、その姿に免じて、隣国への侵攻を思いとどまることを約束したのですが・・・
今週のOAは、第28回「北の独眼竜」。
時は、天正16年(1588年)。
出産を控え、直江家の居城・与板城に戻っていたお船のもとに、直江兼続父・樋口惣右衛門が後妻のよしと共に訪ねてきます。
家老職で多忙を極めている兼続の代わりにと、身を案じてくれる惣右衛門。
お船は、必ず丈夫な子を産むと約束するのです。
一方で、兼続は佐渡平定に向けての準備に追われていました。
内乱の続く佐渡を平定することの了承を、関白・豊臣秀吉から賜っていた上杉景勝は、それを兼続に命じていたのです。
そんな折、京に滞留している大国実頼から、兼続のもとに書状が届きます。
それは、未だ上洛を拒み続け、それどころか勢力拡大を目論もうとしている伊達を説得せよとの内容でした。
兼続は、景勝と相談したうえで出羽・米沢に出向き、伊達政宗を説得することを決意します。
米沢城に出向いた兼続は、政宗と対面。
もはや武力で天下を治める時代ではないと、兼続は政宗を説得しますが、武力での天下取りの野心を持つ政宗が取り合うはずもなく、逆に政宗は、「越後をくれるというのなら考えてもいい」とまで言い放ちます。
その危険なほどまでの自信に満ち溢れた姿に、兼続はかつて同じように武力で天下を治めようとした、織田信長の影を見るのです。
天の時、地の利を備えながら、人の心を無視し志し半ばで倒れた信長のことを話しながら、「力では人の心は掴めない」と説き、「政宗殿のお考えはもはや時代遅れ」と、きっぱり言い切るのです。
その言葉に政宗は激高。 太刀を抜いて兼続に斬りかかろうとしますが、そこに現れた正室・愛姫の姿を見た政宗は、振り下ろそうとした太刀をおさめます。
太刀を振りかざしても動じない兼続の姿に感服した政宗は、その姿に免じて、隣国への侵攻を思いとどまることを約束したのですが・・・
翌・天正17年(1589年)6月、いよいよ兼続は佐渡へと渡ります。
河原田城主・本間高統に対し、内乱を鎮め豊臣政権の元平和な国作りを行なおうと説得。
兼続の必死の説得に、ついに本間も折れ、ここに佐渡が平定されたのです。
ちょうどその頃、お船が無事に女児を出産。
兼続のもとにも書状が届き、兼続は喜びに満ち溢れるのです。
そんな喜びもつかの間、伊達が会津の芦名家を滅ぼしたとの知らせが・・・
「政宗の言葉は偽りだったのか・・・」 落胆しながらも、兼続は越後の守りを固めるべく、急ぎ春日山へと戻ります。
その後、伊達への対策が一段落した兼続は、与板城のお船のもとへ。
晴れて娘と対面した兼続の眼には涙が・・・ つかの間の安らぎのひと時なのでした・・・
この頃、秀吉がほぼ天下を手中にしていたとはいえ、関東から北の地方では北条や伊達、最上などが抵抗勢力として、その天下を阻もうとしていました。
表向きでは秀吉に臣従し、豊臣政権の最高幹部となっていた徳川家康も、裏では北条と通じ、抵抗勢力の反乱に乗じて「隙あらば」という思いを秘めていたのでした。
あくまでも、講和を持って天下を治めようとしていた秀吉でしたが、北条の真田領侵攻に、ついに北条征伐を決意。
上杉景勝、前田利家、徳川家康など、そうそうたる面々を従えて、いよいよ秀吉自ら関東に乗り込むことになるのです・・・
河原田城主・本間高統に対し、内乱を鎮め豊臣政権の元平和な国作りを行なおうと説得。
兼続の必死の説得に、ついに本間も折れ、ここに佐渡が平定されたのです。
ちょうどその頃、お船が無事に女児を出産。
兼続のもとにも書状が届き、兼続は喜びに満ち溢れるのです。
そんな喜びもつかの間、伊達が会津の芦名家を滅ぼしたとの知らせが・・・
「政宗の言葉は偽りだったのか・・・」 落胆しながらも、兼続は越後の守りを固めるべく、急ぎ春日山へと戻ります。
その後、伊達への対策が一段落した兼続は、与板城のお船のもとへ。
晴れて娘と対面した兼続の眼には涙が・・・ つかの間の安らぎのひと時なのでした・・・
この頃、秀吉がほぼ天下を手中にしていたとはいえ、関東から北の地方では北条や伊達、最上などが抵抗勢力として、その天下を阻もうとしていました。
表向きでは秀吉に臣従し、豊臣政権の最高幹部となっていた徳川家康も、裏では北条と通じ、抵抗勢力の反乱に乗じて「隙あらば」という思いを秘めていたのでした。
あくまでも、講和を持って天下を治めようとしていた秀吉でしたが、北条の真田領侵攻に、ついに北条征伐を決意。
上杉景勝、前田利家、徳川家康など、そうそうたる面々を従えて、いよいよ秀吉自ら関東に乗り込むことになるのです・・・
大河ドラマ・天地人 関連書籍
Posted by 遠州森のビープロ at 23:56
[歴史ドラマ諸々]
[歴史ドラマ諸々]
この記事へのトラックバック
<%PingExcerpt%> |
<%PingTitle%>【<%PingBlogName%>】at <%PingDateTime%>