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2009年05月13日

大河ドラマ・天地人 第19回「本能寺の変」

NHK大河ドラマ天地人
今週のOAは、第19回「本能寺の変」。

時は、天正十年(1582年)6月。
越後に侵入してきた織田軍を迎え撃つため、越中天神山城から春日山城へ急ぎ引き返した上杉軍。
しかし、上杉軍の越後帰還の報は既に敵方に伝わっており、次々に越後より撤退・・・ すんでのところで取り逃がしてしまいます。

越後を守るために、魚津城にて西の防波堤となってくれた吉江宗信安部政吉らに申し訳が立たない・・・ 直江兼続は自らを責め嘆きますが、上杉景勝はそんな兼続を労い、自屋敷にて少し休むよう命じます。

程なくして、魚津城は織田軍の総攻撃を受け陥落・・・
吉江、安部らの死を伝え聞いた兼続は悲しみに暮れます。
そんな兼続を、妻となったお船がなぐさめ、いたわるのです・・・
夫婦となって初めての二人の時間・・・ 自らのお船に対する想いを打ち明け、主命により夫婦となったことを詫びる兼続でしたが、お船も兼続と同じ気持ちであったことを知るのです。
互いに惹かれ合っていたことを確認し合った二人は、この後も支え合っていくことを、互いに誓い合うのです・・・

西の砦・魚津城が陥落し、いよいよ織田軍の越後への侵略が本格化するであろうと上杉軍内に緊張感が走る中、柴田勝家佐々成政前田利家などの織田軍勢が次々と撤退していったという報が入ります。
キツネに抓まれたような感覚に陥る、景勝や兼続たち。
織田にいったい何が起こったのか・・・

天正十年6月2日未明、京・本能寺で天地がひっくり返る事変が起こります。
織田家臣・明智光秀による謀反、本能寺の変が起こったのです。
僅か数百の軍勢で本能寺に留まっていた織田信長は、千五百という大軍の光秀軍の襲撃に、「是非に及ばず」と一言だけ言葉を発し応戦しますが、多勢に無勢状態・・・ 信長は自らの天運が尽きたと悟り、小姓・森蘭丸に火を放たせ、寺の奥に篭りそして自害・・・ 享年49。

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信長が、正に自ら命を断とうとしていたその時、信長の目の前に突如現れた亡霊・・・ 「謙信入道か?」、「如何にも・・・」
の時、の利、の和・・・ この三つを併せ持ってこそ、この乱世を鎮め天下を治めることが出来る。
「そなたは人を蔑ろにした、人の心は力では動かせぬ。」との謙信の言葉に対し信長は、「乱れた世を正すには、きれい事だけでは納まらぬ。」 「乱世をぶち破る力無くして、何が出来る。それを悪というのなら、俺は喜んでその道を選ぶわ。」と反論。
「悲しい男よ・・・」 最後に謙信は、そう一言だけ言い残し消え入ります。

奇しくも、同じ年齢でこの世を去った二人の武将・・・ 思想は違えど、戦乱で乱れたこの世を治めようと奮闘した二人の思いは、豊臣秀吉、そして徳川家康へと引き継がれていくことになるのです。

越後を、織田の軍勢によって四方八方から追い詰められた上杉軍は、思わぬ形で危機を脱することになったのです。
「これも御館様、そして毘沙門天の御加護であろう・・・」
景勝、兼続らは、自分たちが謙信の教えである義の心を継承していることで、天が味方をしてくれていると信じて止まないのでした。

織田信長という脅威から脱した景勝や兼続たち。
安堵する間も無く、次に立ちはだかる天下人・豊臣秀吉との対峙・・・
戦乱の世、直江兼続らの奔走は、まだまだ続いていくことになるのです・・・

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