2009年01月12日
大河ドラマ・天地人 第2回「泣き虫、与六」
NHK大河ドラマ・天地人。
今週のOAは、第2回「泣き虫、与六」。
時は、永禄7年(1564年)冬。
5歳の与六(のちの直江兼続)は、越後上田庄の寺・雲洞庵に預けられ、喜平次(のちの上杉景勝)らと共に修行生活をしていました。
最年少の与六は、その生意気な性格が仇となり仲間からはいじめを受け、住職である北高全祝からも叱られてばかり。
寡黙な正確で、皆と馴染めずにいる喜平次も与六の事を気に掛けながら、成り行きを見守っていました。
「わしは、本当にこんな所に来とうはなかった・・・」
両親、兄弟と共に暮らし、父(樋口惣右衛門)のような侍になることを望んでいた与六は、その思いを貫くために雪の降りしきるある夜に、寺から抜け出してしまいます。
降りしきる雪、雪で覆われた獣道を必死になって歩き、やっとの思いで実家にたどり着き・・・
母・お藤は、与六の思いがけない帰宅に一旦は迎え入れますが、寺に預け入れた与六をこのまま受け入るわけにはいかず、心を鬼にして追い返します。
母親に見捨てられたと思った与六は、ただ呆然とし咽び泣く・・・
そこに、与六の事が心配で後を追ってきた喜平次が現れます。
与六をおんぶして歩く帰り道、喜平次は自分の家臣としてそばに居て欲しいと自らの思いを明かし、与六は、そんな喜平次の気持ちに感涙するのです・・・
この後、二人は主従として終生絆で結ばれることになるのですが、そんな二人の心が通い合った瞬間でした。
ここから、物語の舞台は天正元年(1573年)へと流れます。
14歳になった与六は、樋口兼続と名を改め立派に成長していました。
時は、尾張の織田信長が天下を統一しようと勢いを増している中、武田信玄をはじめ各地の戦国大名が信長包囲網を掛けているといった時代・・・
兼続は、主君・景勝と共にこの後、戦国乱世の情勢に巻込まれていくことになるのです。
今週のOAは、第2回「泣き虫、与六」。
時は、永禄7年(1564年)冬。
5歳の与六(のちの直江兼続)は、越後上田庄の寺・雲洞庵に預けられ、喜平次(のちの上杉景勝)らと共に修行生活をしていました。
最年少の与六は、その生意気な性格が仇となり仲間からはいじめを受け、住職である北高全祝からも叱られてばかり。
寡黙な正確で、皆と馴染めずにいる喜平次も与六の事を気に掛けながら、成り行きを見守っていました。
「わしは、本当にこんな所に来とうはなかった・・・」
両親、兄弟と共に暮らし、父(樋口惣右衛門)のような侍になることを望んでいた与六は、その思いを貫くために雪の降りしきるある夜に、寺から抜け出してしまいます。
降りしきる雪、雪で覆われた獣道を必死になって歩き、やっとの思いで実家にたどり着き・・・
母・お藤は、与六の思いがけない帰宅に一旦は迎え入れますが、寺に預け入れた与六をこのまま受け入るわけにはいかず、心を鬼にして追い返します。
母親に見捨てられたと思った与六は、ただ呆然とし咽び泣く・・・
そこに、与六の事が心配で後を追ってきた喜平次が現れます。
与六をおんぶして歩く帰り道、喜平次は自分の家臣としてそばに居て欲しいと自らの思いを明かし、与六は、そんな喜平次の気持ちに感涙するのです・・・
この後、二人は主従として終生絆で結ばれることになるのですが、そんな二人の心が通い合った瞬間でした。
ここから、物語の舞台は天正元年(1573年)へと流れます。
14歳になった与六は、樋口兼続と名を改め立派に成長していました。
時は、尾張の織田信長が天下を統一しようと勢いを増している中、武田信玄をはじめ各地の戦国大名が信長包囲網を掛けているといった時代・・・
兼続は、主君・景勝と共にこの後、戦国乱世の情勢に巻込まれていくことになるのです。
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Posted by 遠州森のビープロ at 22:20
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“天地人 2話「泣き虫、与六」”【『ならうよりなれろ!!』】at 2009年01月13日 17:09