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2007年03月06日

大河ドラマ“風林火山”第9回 「勘助討たれる」

NHK大河ドラマ “風林火山”
今週のOAは、第9回 「勘助討たれる」

武田軍、総勢八千の軍勢を持ってして落とせなかった海ノ口城だったが、武田晴信の奇襲によってわずか三百の兵力で城が落とされた。

一方、平賀勢に加わっていた山本勘助は、晴信の奇襲に成すすべく無く敗れ、城内に潜んでいるのを晴信に見つけられてしまい、討たれることを覚悟。
自ら太刀を抜き、勘助の首目掛け一気に振り下ろす晴信。

だが、寸前のところで止められ、『偽軍師、山本勘助が首を討ち取った』と宣言。
死を免れた勘助であったが、代わりに武田への恨み、復讐心が奪われてしまったのだ・・・

凱旋し、城を奪ったことを父・信虎に告げる晴信。
信虎は、自らが落とせなかった城を簡単に奪った晴信に嫉妬していた。

それから3年後、武田家と信州・諏訪家は同盟を結び、晴信の妹・禰々が諏訪頼重の元に嫁いだ。
頼重から諏訪に招かれた信虎は、頼重の娘・由布姫の美しさに心を奪われた。
事もあろうに、由布姫を側室に迎え入れようとしていたのだ。

その翌年(天文10年「1541年」)の正月、祝の席で信虎は晴信を駿河に追放する意思を固め、自らの決意を家老・板垣に打ち明ける・・・

ついに晴信が、父・信虎に謀反を起こすことを決意します。
幼少の頃より、理由もなく嫌われ次男・信繁ばかりを可愛がっていた信虎。
天文10年(1541年)の正月の祝の席では、晴信を差し置いて信繁に自らの盃を取らせたのです。
これはすなわち、家督は晴信ではなく信繁に譲るという、信虎の意思の表れなのです。

自身への事だけならともかく、諏訪頼重の姫を側室に望んだり、飢饉に苦しむ領民の事も考えない・・・
あまりに自分勝手な振る舞いに、晴信はついに信虎を許すことが出来なくなったのです・・・

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