2006年10月09日
大河ドラマ“功名が辻”第40回「三成暗殺」
今週(昨日)のOAは「三成暗殺」。
太閤秀吉の死から数ヶ月後、朝鮮攻めへ出ていた兵たちが戻ってきた。
出迎えた石田三成は、労をねぎらうと同時に明るみにしていなかった秀吉の死を知らせる。
動揺する兵士たち・・・ そしてその矛先は三成へと向けられた。
一方で、大老の一人である徳川家康は、秀吉の遺訓であった大名同士の婚姻禁止をあっさりと破り、自らの血縁と諸大名との婚姻を進めていた。
これを重く見た三成は、一豊らを詰問に赴かせるが、老獪(ろうかい)な家康に丸め込まれる結果に。
これをきっかけに、家康に寝返る者も続出・・・ 豊臣家は真っ二つに分裂することに・・・
三成を恨み、血気にはやる清正や正則らは、三成殺害の兵を挙げる。
一豊は、三成の豊臣への忠信を信じ三成救出へ動いた。
三成は一豊に義を説き、来るべき家康への決起の時にも助力してくれるよう説く。
そして三成は、家康の屋敷に逃げ込み、家康と対面。
三成の命を狙う清正らが乗り込んできて、家康は・・・。
秀吉がこの世を去り、まだ幼い跡取り・秀頼を守り立てようとする豊臣家忠義の者と、次の天下は家康が取ると、家康側に寝返る者とで豊臣家は分裂を起こしてしまいます。
この後争いが生じ、天下分け目の戦が起こることは、この時点で決まっていたのかもしれません。
困惑する一豊に、よくよく様子を見てから決めるよう千代は一豊に念を押します。
いよいよ一豊は、苦渋の決断を迫られることになります。
「大河ドラマ“功名が辻”トラックバックピープル」
太閤秀吉の死から数ヶ月後、朝鮮攻めへ出ていた兵たちが戻ってきた。
出迎えた石田三成は、労をねぎらうと同時に明るみにしていなかった秀吉の死を知らせる。
動揺する兵士たち・・・ そしてその矛先は三成へと向けられた。
一方で、大老の一人である徳川家康は、秀吉の遺訓であった大名同士の婚姻禁止をあっさりと破り、自らの血縁と諸大名との婚姻を進めていた。
これを重く見た三成は、一豊らを詰問に赴かせるが、老獪(ろうかい)な家康に丸め込まれる結果に。
これをきっかけに、家康に寝返る者も続出・・・ 豊臣家は真っ二つに分裂することに・・・
三成を恨み、血気にはやる清正や正則らは、三成殺害の兵を挙げる。
一豊は、三成の豊臣への忠信を信じ三成救出へ動いた。
三成は一豊に義を説き、来るべき家康への決起の時にも助力してくれるよう説く。
そして三成は、家康の屋敷に逃げ込み、家康と対面。
三成の命を狙う清正らが乗り込んできて、家康は・・・。
秀吉がこの世を去り、まだ幼い跡取り・秀頼を守り立てようとする豊臣家忠義の者と、次の天下は家康が取ると、家康側に寝返る者とで豊臣家は分裂を起こしてしまいます。
この後争いが生じ、天下分け目の戦が起こることは、この時点で決まっていたのかもしれません。
困惑する一豊に、よくよく様子を見てから決めるよう千代は一豊に念を押します。
いよいよ一豊は、苦渋の決断を迫られることになります。
「大河ドラマ“功名が辻”トラックバックピープル」
Posted by 遠州森のビープロ at 10:48
[歴史ドラマ諸々]
[歴史ドラマ諸々]
この記事へのトラックバック
ついに本音を出し始めた、「たぬき」家康が本領を発揮。とてもわがままで、挑発的です。浅井・朝倉に挟み撃ちにされた時に家康に助けられて以来、家康ずっとかっていたので簡単に「家... |
ついに本音を出し始めた、「たぬき」家康。【「大河ドラマ」ブログ 〜NHK大河ドラマ、「功名が辻」の感想。】at 2006年10月09日 20:19
この記事へのコメント
快適なインターネットに回復しました。 有難うございました。 |
Posted by かずねえ at 2006年10月09日 20:04
問題解消したようで・・・ よかったです! |
Posted by ビープロ at 2006年10月10日 21:27