2009年09月08日
大河ドラマ・天地人 第36回「史上最大の密約」
NHK大河ドラマ・天地人。
今週のOAは、第36回「史上最大の密約」。
慶長3年(1598年)8月、天下人・豊臣秀吉がこの世を去り、天下の情勢に暗雲が立ち込めるようになってきました。
五大老の筆頭・徳川家康が台頭し始め、天下を私物化しようとばかりのやりたい放題。
そればかりか、秀吉の側近として政務を執り仕切っていた石田三成に対し、自分のことを棚に上げて政務を私物化していると批判の意を示してきます。
これには他の大老たちも黙ってはおられず、特に前田利家は、自身の病の身をおしてまで家康に対し警告を促し、家康も一旦は大人しくなりました。
しかし、慶長4年(1599年)閏3月、その利家も秀吉の後を追うかのように、この世を去ってしまいます・・・
利家が死去した閏3月3日の夜、かねてから三成と対立関係にあった福島正則、加藤清正ら7名の武将が挙兵します。
三成を討つべく、夜討ちを仕掛けようとしていました。
正則らは、自分たちが朝鮮出兵での労が報われなかったことに対して、三成に逆恨みをしていたのです。
正則らの挙兵を、一早く察した三成は自屋敷を脱出・・・
逃げ込んだ先は、何と家康邸でした。
はたから考えれば、袋のねずみ状態・・・ しかし、ここで家康が三成を殺せば、豊臣の重臣を独断で処分したと、他の大老から非難されることは必至となり、その辺を読んだ三成は賭けに出たのです。
この報は上杉邸にも伝わり、直江兼続は上杉景勝と相談した結果、三成救出の手を講じます。
兼続は、淀のもとを訪ねて経緯を報告。 家康に文(ふみ)を書いて欲しいと願い出ます。
家康邸では、逃げ込んできた三成の処遇をどうするか、家康他重臣たちが話し合っていました。
その最中に、届けられた淀からの文。 文には、「治部少輔(三成)を救った内府(家康)殿の裁定天晴れ也。ここで治部少輔を処分すれば、毛利、上杉などが黙ってはおるまい・・・」との内容が書かれていました。
ここで不利な立場になることを恐れた家康は、三成を救うことを決めます。
別室に控えていた三成と対面した家康は、自身が正則らから守る旨を伝え、その上で居城である近江・佐和山城への隠居を進めるのです。
これは、事実上の蟄居命令・・・ 「自分が居なくなっては、豊臣の政務に多大な影響が出る。」と三成は反論しますが、「福島、加藤ら豊臣恩顧の大名たちから反感を買っている輩に、豊臣をまとめ上げる政務が務まるのか。」と家康。
その言葉に、口惜しくながらも三成は従わざるを得ませんでした。

今週のOAは、第36回「史上最大の密約」。
慶長3年(1598年)8月、天下人・豊臣秀吉がこの世を去り、天下の情勢に暗雲が立ち込めるようになってきました。
五大老の筆頭・徳川家康が台頭し始め、天下を私物化しようとばかりのやりたい放題。
そればかりか、秀吉の側近として政務を執り仕切っていた石田三成に対し、自分のことを棚に上げて政務を私物化していると批判の意を示してきます。
これには他の大老たちも黙ってはおられず、特に前田利家は、自身の病の身をおしてまで家康に対し警告を促し、家康も一旦は大人しくなりました。
しかし、慶長4年(1599年)閏3月、その利家も秀吉の後を追うかのように、この世を去ってしまいます・・・
利家が死去した閏3月3日の夜、かねてから三成と対立関係にあった福島正則、加藤清正ら7名の武将が挙兵します。
三成を討つべく、夜討ちを仕掛けようとしていました。
正則らは、自分たちが朝鮮出兵での労が報われなかったことに対して、三成に逆恨みをしていたのです。
正則らの挙兵を、一早く察した三成は自屋敷を脱出・・・
逃げ込んだ先は、何と家康邸でした。
はたから考えれば、袋のねずみ状態・・・ しかし、ここで家康が三成を殺せば、豊臣の重臣を独断で処分したと、他の大老から非難されることは必至となり、その辺を読んだ三成は賭けに出たのです。
この報は上杉邸にも伝わり、直江兼続は上杉景勝と相談した結果、三成救出の手を講じます。
兼続は、淀のもとを訪ねて経緯を報告。 家康に文(ふみ)を書いて欲しいと願い出ます。
家康邸では、逃げ込んできた三成の処遇をどうするか、家康他重臣たちが話し合っていました。
その最中に、届けられた淀からの文。 文には、「治部少輔(三成)を救った内府(家康)殿の裁定天晴れ也。ここで治部少輔を処分すれば、毛利、上杉などが黙ってはおるまい・・・」との内容が書かれていました。
ここで不利な立場になることを恐れた家康は、三成を救うことを決めます。
別室に控えていた三成と対面した家康は、自身が正則らから守る旨を伝え、その上で居城である近江・佐和山城への隠居を進めるのです。
これは、事実上の蟄居命令・・・ 「自分が居なくなっては、豊臣の政務に多大な影響が出る。」と三成は反論しますが、「福島、加藤ら豊臣恩顧の大名たちから反感を買っている輩に、豊臣をまとめ上げる政務が務まるのか。」と家康。
その言葉に、口惜しくながらも三成は従わざるを得ませんでした。


やがて、家康は伏見城に入城。 幼き豊臣秀頼の後見人となり、事実上の天下人となったのです。
城内での、大老、奉行たちの会議の席上で、毛利輝元は勝手に政を進める家康を批判します。
これに対し家康は、自身よりも政務を私物化しようとしている輩がおると、三成と兼続のことを名指しで批判してきます。
この発言に、景勝は猛反論。 兼続と共に発言の取り消しを求め、場に緊張感が走ります。
その空気を悟った家康は、突如相好を崩してきました。
そして、景勝に会津への帰国を促したのでした。
表向きは、会津へ国替えとなって間もない上杉への配慮と読めますが、これは正に、家康の上杉への挑戦状と読んだ景勝は、受けて立とうと帰国を決断したのです。
かくして、景勝、兼続ら上杉軍は、一部の残留軍を残して帰国の途へ。
途中、兼続は軍を離れ佐和山城で隠居中の三成のもとを訪ねます。
三成は、初音や家臣の島左近などと共に静かに暮らしていました。
髷を切り、草鞋作りで毎日を過ごすなど、すっかり塞ぎ込んでしまった三成に対し、兼続はもう一度立ち上がれと説得します。
兼続の熱い説得に、三成は家康に立ち向かい正義を示すことを決意します。
二人は、夜を徹して対家康の作戦を練り上げ、平和が訪れた後の夢を語り合うのです。
お互いの熱き友情を感じた二人は、無事の再会を誓って別れるのですが、この別れが、今生の別れとなることなど、この時の二人には知る由もありませんでした・・・
ついに三成と兼続が、家康に正義を示すために立ち上がります。
渾身の思いで、家康への挑戦状を送り付けた運命の直江状・・・
そこから、時代は天下分け目の関ヶ原へと進んでいくのです・・・
城内での、大老、奉行たちの会議の席上で、毛利輝元は勝手に政を進める家康を批判します。
これに対し家康は、自身よりも政務を私物化しようとしている輩がおると、三成と兼続のことを名指しで批判してきます。
この発言に、景勝は猛反論。 兼続と共に発言の取り消しを求め、場に緊張感が走ります。
その空気を悟った家康は、突如相好を崩してきました。
そして、景勝に会津への帰国を促したのでした。
表向きは、会津へ国替えとなって間もない上杉への配慮と読めますが、これは正に、家康の上杉への挑戦状と読んだ景勝は、受けて立とうと帰国を決断したのです。
かくして、景勝、兼続ら上杉軍は、一部の残留軍を残して帰国の途へ。
途中、兼続は軍を離れ佐和山城で隠居中の三成のもとを訪ねます。
三成は、初音や家臣の島左近などと共に静かに暮らしていました。
髷を切り、草鞋作りで毎日を過ごすなど、すっかり塞ぎ込んでしまった三成に対し、兼続はもう一度立ち上がれと説得します。
兼続の熱い説得に、三成は家康に立ち向かい正義を示すことを決意します。
二人は、夜を徹して対家康の作戦を練り上げ、平和が訪れた後の夢を語り合うのです。
お互いの熱き友情を感じた二人は、無事の再会を誓って別れるのですが、この別れが、今生の別れとなることなど、この時の二人には知る由もありませんでした・・・
ついに三成と兼続が、家康に正義を示すために立ち上がります。
渾身の思いで、家康への挑戦状を送り付けた運命の直江状・・・
そこから、時代は天下分け目の関ヶ原へと進んでいくのです・・・
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Posted by 遠州森のビープロ at 10:42
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