2009年07月23日
大河ドラマ・天地人 第29回「天下統一」
NHK大河ドラマ・天地人。
今週のOAは、第29回「天下統一」。
時は、天正18年(1590年)。
時の天下人・豊臣秀吉は、ついに関東・小田原へと出兵します。
北条氏政、氏直父子に、再三再四上洛を促していたにも関わらず、一向にその気配を見せず、逆に戦の準備まで整えているといった状態に、秀吉は北条征伐を決意したのです。
徳川家康、前田利家、そして上杉景勝といった錚々たる武将の軍、そして、秀吉自らも直属の軍勢を率いて小田原に陣を敷きます。
直江兼続も、景勝に従い越後を出陣。
上杉軍は、途中前田軍と合流し、手始めに上野・松井田城の攻略に掛かります。 持久戦の末、城主・大道寺政繁が降伏。
その場での切腹を覚悟していた大道寺に対し、兼続は主・景勝の命と酒を振る舞います。
それを見ていた利家は、敵にも礼節を持って接するという上杉のやり方に、感服の意を見せていました。
その後、上杉、前田らの連合軍は北関東の城を次々と攻略していき、八王子城にまで進軍していきました。
完全に小田原を包囲していた秀吉の本陣は、石垣山に石垣山一夜城を築城。
淀殿など妾たちも呼び寄せ連日のように宴を催し、自らの富と権力を見せつけていました。
小田原落城も時間の問題・・・ そんな中で秀吉は、未だ参陣してこない伊達政宗に苛立ちを見せていました。
秀吉は、政宗を参陣させるよう家康に命じます。
北関東諸城の攻略の報を伝えるために、本陣まで赴いた兼続も、政宗に書状を送ります。
兼続からの書状を手にした政宗は、目を通しますが「くどいっ!」と一蹴。
一方で、家康からも書状が届き、そこには「参陣無用」と書かれていました。
あくまで無視を貫いていた政宗でしたが、家康の書状に含みがあると見抜き、一転して参陣を決意します。
もはや伊達征伐もやむなし・・・ と秀吉が決意しかけた頃、本陣の秀吉の前に政宗が姿を現わします。
小田原攻めに遅参したわびと、秀吉に臣従する旨を、家康ほか重臣たちの前で宣言します。
政宗が身にまとっていたのは、白装束・・・
死をも決意しているという覚悟に、秀吉は「今少し遅ければ、ここがつながっておらなんだのう・・・」と太刀で首を叩き、政宗を許す意を示すのです。
結果、政宗は遅参の罪を会津領没収という形だけで済ませたのです。

今週のOAは、第29回「天下統一」。
時は、天正18年(1590年)。
時の天下人・豊臣秀吉は、ついに関東・小田原へと出兵します。
北条氏政、氏直父子に、再三再四上洛を促していたにも関わらず、一向にその気配を見せず、逆に戦の準備まで整えているといった状態に、秀吉は北条征伐を決意したのです。
徳川家康、前田利家、そして上杉景勝といった錚々たる武将の軍、そして、秀吉自らも直属の軍勢を率いて小田原に陣を敷きます。
直江兼続も、景勝に従い越後を出陣。
上杉軍は、途中前田軍と合流し、手始めに上野・松井田城の攻略に掛かります。 持久戦の末、城主・大道寺政繁が降伏。
その場での切腹を覚悟していた大道寺に対し、兼続は主・景勝の命と酒を振る舞います。
それを見ていた利家は、敵にも礼節を持って接するという上杉のやり方に、感服の意を見せていました。
その後、上杉、前田らの連合軍は北関東の城を次々と攻略していき、八王子城にまで進軍していきました。
完全に小田原を包囲していた秀吉の本陣は、石垣山に石垣山一夜城を築城。
淀殿など妾たちも呼び寄せ連日のように宴を催し、自らの富と権力を見せつけていました。
小田原落城も時間の問題・・・ そんな中で秀吉は、未だ参陣してこない伊達政宗に苛立ちを見せていました。
秀吉は、政宗を参陣させるよう家康に命じます。
北関東諸城の攻略の報を伝えるために、本陣まで赴いた兼続も、政宗に書状を送ります。
兼続からの書状を手にした政宗は、目を通しますが「くどいっ!」と一蹴。
一方で、家康からも書状が届き、そこには「参陣無用」と書かれていました。
あくまで無視を貫いていた政宗でしたが、家康の書状に含みがあると見抜き、一転して参陣を決意します。
もはや伊達征伐もやむなし・・・ と秀吉が決意しかけた頃、本陣の秀吉の前に政宗が姿を現わします。
小田原攻めに遅参したわびと、秀吉に臣従する旨を、家康ほか重臣たちの前で宣言します。
政宗が身にまとっていたのは、白装束・・・
死をも決意しているという覚悟に、秀吉は「今少し遅ければ、ここがつながっておらなんだのう・・・」と太刀で首を叩き、政宗を許す意を示すのです。
結果、政宗は遅参の罪を会津領没収という形だけで済ませたのです。


そして、政宗は帰国途中に兼続の陣に赴きます。
兼続は、臣従の意を示した政宗を素直に称えますが、「あくまで天下取りの足がかり」と政宗。
なおも兼続は、「戦の世は終わった・・・」と政宗を説くのですが・・・
そして、上杉、前田軍らは秀吉本陣に合流。
秀吉は、全軍が揃ったのを待っていたかのように、石垣山城を覆っていた森の木々を切り倒すように命じます。
突如、小田原城の前に現れた強大な城。
それを目にした、氏政たちは驚愕・・・ 北条軍は戦意を喪失し、敗戦を悟った氏政は自害、氏直は出家し高野山へ送られることとなります。
ここに、北条家は滅亡・・・
その後の奥州仕置を経て、ついに秀吉の天下統一が実現します。
長かった戦国の世が終焉し、平和な世が訪れたことを喜ぶ、景勝と兼続。
これが、つかの間の平和の世であったことなど、この時の二人には知る由も無かったでしょう・・・
この北条征伐でのキーマンとなるのは、やはり徳川家康。
表向きでは秀吉に臣従の意を見せ、今回の北条討伐においても重臣としての働きを見せながらも、裏では関東や東北の諸将らと結託する隙を窺っていたのです。
その中の一人、政宗が秀吉のもとへと参陣した時、家康はその野望が砕けたことを知るのです。
北条討伐の功績として、関東一円を新たな諸領として与えられた家康でありましたが、逆に三河、遠江などを返領することになり、結果として秀吉に関東へと追いやられた形になったのです。
これにより、家康は天下取りの野望を一時中断。 それが実を結ぶことになるまで、あと10年余の年月を数えることになるのです。
上杉、そして直江兼続にとっても運命の鍵となる関ヶ原の戦いが、これより10年後に起こることになります・・・
兼続は、臣従の意を示した政宗を素直に称えますが、「あくまで天下取りの足がかり」と政宗。
なおも兼続は、「戦の世は終わった・・・」と政宗を説くのですが・・・
そして、上杉、前田軍らは秀吉本陣に合流。
秀吉は、全軍が揃ったのを待っていたかのように、石垣山城を覆っていた森の木々を切り倒すように命じます。
突如、小田原城の前に現れた強大な城。
それを目にした、氏政たちは驚愕・・・ 北条軍は戦意を喪失し、敗戦を悟った氏政は自害、氏直は出家し高野山へ送られることとなります。
ここに、北条家は滅亡・・・
その後の奥州仕置を経て、ついに秀吉の天下統一が実現します。
長かった戦国の世が終焉し、平和な世が訪れたことを喜ぶ、景勝と兼続。
これが、つかの間の平和の世であったことなど、この時の二人には知る由も無かったでしょう・・・
この北条征伐でのキーマンとなるのは、やはり徳川家康。
表向きでは秀吉に臣従の意を見せ、今回の北条討伐においても重臣としての働きを見せながらも、裏では関東や東北の諸将らと結託する隙を窺っていたのです。
その中の一人、政宗が秀吉のもとへと参陣した時、家康はその野望が砕けたことを知るのです。
北条討伐の功績として、関東一円を新たな諸領として与えられた家康でありましたが、逆に三河、遠江などを返領することになり、結果として秀吉に関東へと追いやられた形になったのです。
これにより、家康は天下取りの野望を一時中断。 それが実を結ぶことになるまで、あと10年余の年月を数えることになるのです。
上杉、そして直江兼続にとっても運命の鍵となる関ヶ原の戦いが、これより10年後に起こることになります・・・
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Posted by 遠州森のビープロ at 23:22
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