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2006年08月20日

大河ドラマ“功名が辻”第33回「母の遺言」

今週のOAは、「母の遺言」

豊臣秀吉は、九州・島津家を制定すべく九州征伐に出陣。
秀吉の甥、秀次の宿老となった山内一豊は、留守居役の秀次と共に大坂に残った。

戦での功名が立てられぬと、いらつく一豊は弟・康豊と些細なことで衝突を繰り返すようになってしまう。
そんな折、母・法秀尼の危篤の知らせが・・・。

臨終に間に合わなかった一豊と康豊は、最期をめとった千代から母の遺言を聞く。
一豊と康豊は、山内家のために兄弟力を合わせて豊臣家を盛り立てようと、改めて誓い合う。

一方、天下はほぼ秀吉のものとなりつつある中、大きなうねりが起きようとしていた。

バテレン追放令が出され、キリシタンたちは行き場を失うことに・・・。
そして、織田信長の妹、市の娘・茶々を側室にしようとする秀吉・・・ 茶々が秀吉の側室となり、子を産むことで豊臣家は二分され、後に迷走していくこととなる。

九州征伐が成され、後は関東の北条を制覇すれば、奥州もそれに従い秀吉の天下統一は名実共に達成されることになります。

一豊も、豊臣家の家臣としてそれに従っていくわけですが、懸念材料とされていたのは跡継ぎ問題。
子の無かった秀吉は当初、甥の秀次を跡目にと考えていましたが、茶々が男子を産むとそちらを跡継ぎにと心変わりをし、秀次排斥を企むことになります。

豊臣家が二分されることによって、それに翻弄されるものも出てくれば、その隙につけ込んでくるものも現れます。
やがて、天下は石田光成派と徳川家康派に分かれ、関が原の戦いへとなっていくわけですが、この時点では、そんなことなど分かる由も無かった訳ですが・・・。

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Posted by 遠州森のビープロ at 23:37
[歴史ドラマ諸々]
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