2006年08月01日
大河ドラマ「功名が辻」を観て思うこと
今年のNHK大河ドラマ、「功名が辻」。
森町のお隣、掛川城の主であったことでも知られる、山内一豊とその妻・千代の物語です。
個人的に歴史物が結構好きで、ここ最近の大河ドラマは欠かさず観ていて、今年の3月までこちらのブログと並行して更新していたもう一つのブログにては、一つのカテゴリーを設けてあったくらいです。
それをこちらのブログに新たにカテゴリーを設け、書き込んでいこうと思っているのですが、最近はリアルタイムで観れる時が少なく(ビデオに収めて観てはいますが)、このテーマでの書き込みがご無沙汰してしまってます。
・・・前置きはともかく、こちらの「功名が辻」。
“功名”とは、手柄を立てるという意味で、“乱世”と言われた戦国時代、己の力で手柄を立て出世し、大大名になるというのが当時の武士たちのステータスであったようです。
山内一豊も、織田信長、豊臣秀吉の元、“一国一城の主”となることを目指し、功名を立て出世していきます。
しかし一説では、山内一豊は武力では人よりも抜きん出た才能を持ち合わせていたようですが、愚直な性格で一国一城どころか大名になれる器ではなかったとも言われています。
森町のお隣、掛川城の主であったことでも知られる、山内一豊とその妻・千代の物語です。
個人的に歴史物が結構好きで、ここ最近の大河ドラマは欠かさず観ていて、今年の3月までこちらのブログと並行して更新していたもう一つのブログにては、一つのカテゴリーを設けてあったくらいです。
それをこちらのブログに新たにカテゴリーを設け、書き込んでいこうと思っているのですが、最近はリアルタイムで観れる時が少なく(ビデオに収めて観てはいますが)、このテーマでの書き込みがご無沙汰してしまってます。
・・・前置きはともかく、こちらの「功名が辻」。
“功名”とは、手柄を立てるという意味で、“乱世”と言われた戦国時代、己の力で手柄を立て出世し、大大名になるというのが当時の武士たちのステータスであったようです。
山内一豊も、織田信長、豊臣秀吉の元、“一国一城の主”となることを目指し、功名を立て出世していきます。
しかし一説では、山内一豊は武力では人よりも抜きん出た才能を持ち合わせていたようですが、愚直な性格で一国一城どころか大名になれる器ではなかったとも言われています。
そんな山内一豊を励まし、時には背中を押して、夫の出世を陰で支えた妻・千代の存在。
現在で言えば、課長か良くて部長止まりの役職しか与えられなさそうな夫を、最終的に(現在なら支社長クラス)土佐24万石の藩主にまで仕立て上げたのです。
有名なエピソードとしては、家康率いる徳川軍と、石田光成率いる豊臣軍との天下分け目の戦となった“関が原の戦い”で、どちらに付こうか悩んでいた一豊に千代は、今まで仕えていた豊臣家を見限り、徳川軍に付くことをすすめます。
それは決して裏切りというものではなく、この先の天下の流れを読んだ、千代の先見の明、妻の知恵であったと伝えられています。
終身雇用制が崩れ、不況、リストラなどという言葉を聞いて久しい昨今。
まさに現在は、戦国の世に似ているとも言われています。
今年の大河ドラマ・功名が辻は、そんな激動の世の中に身を置いている我々に、勇気と希望を与えてくれるドラマではないか、と感じています。
現在で言えば、課長か良くて部長止まりの役職しか与えられなさそうな夫を、最終的に(現在なら支社長クラス)土佐24万石の藩主にまで仕立て上げたのです。
有名なエピソードとしては、家康率いる徳川軍と、石田光成率いる豊臣軍との天下分け目の戦となった“関が原の戦い”で、どちらに付こうか悩んでいた一豊に千代は、今まで仕えていた豊臣家を見限り、徳川軍に付くことをすすめます。
それは決して裏切りというものではなく、この先の天下の流れを読んだ、千代の先見の明、妻の知恵であったと伝えられています。
終身雇用制が崩れ、不況、リストラなどという言葉を聞いて久しい昨今。
まさに現在は、戦国の世に似ているとも言われています。
今年の大河ドラマ・功名が辻は、そんな激動の世の中に身を置いている我々に、勇気と希望を与えてくれるドラマではないか、と感じています。
Posted by 遠州森のビープロ at 23:59
[歴史ドラマ諸々]
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第30回「一城の主」/功名が辻【「人生のテーマソング」】at 2006年08月02日 04:05