2006年03月30日
4月2日は遠州森町へ・・・解説 『天宮神社』
桜ジャム・森町版 『4月2日は遠州森町へいらっしゃい!』 企画。

イベントの目玉の一つ、『天宮(あめのみや)神社大祭』の紹介をします。
天宮神社大祭は、毎年4月第1土、日の2日間行なわれ、平安時代から伝わる古式に法り、荘厳の中にも、典雅に行なわれます。
十二段舞楽(国の重要無形民俗文化財に指定されています)の奉納のほか、行道(ぎょうど)またはお渡りと呼ばれる神興の渡御、舞子返しなどの神事と祭事が執り行われます。
以下、神事と祭事を順を追って説明します。
≪楽上り≫
祭典初日、午後1時頃より行なわれます。
舞子、舞人、楽人、天社穀(てんしゃこく)役員が衣装をつけ神宮寺という建物から隊列を組んで、拝殿に参内します。
途中、祓い所で神官よりお祓いをしてもらいます。
古くは「川原祓い」といったとされ、「浜垢離」の名残ではないかと考えられています。
≪神興渡御・還御≫
祭典2日目の本祭の後、神興渡御、還御が行なわれます。
神興渡御は猿田彦を先導役に松鉾、御弓、御銃などの御道具が続き、神興は神社内参道中段にある御仮屋を目指します。
この時、乙女、浦安と呼ばれる舞子も隊列に同行します。
神興渡御を地元では「御渡り」とも言います。
この語源は、宗像本宮の秋季大祭「みあれ祭」では沖津宮、中津宮から御祭神が辺津宮まで船に乗って渡って来られるからではないかと言われています。
神興が御仮屋に到着すると、神幸祭が行なわれます。
乙女神楽、浦安舞が奉奏されます。
神幸祭が終了すると、引き続き神興還御が行なわれます。
この時、神宮寺から出発した、稚児、太刀、舞人も隊列に合流します。
これは、神仏習合の考えから、「天の神」が降りてきて「血の神」である仏と一緒に再び天に戻る姿を表しているとされ、地元では神興還御のことを僧侶が仏前に上がることを意味する「行道(ぎょうど)」という言い方をします。
また、稚児、太刀は「神様の子供」であるため、日傘をさして肩車して決して地面に足をつけないようにします。
この隊列には烏帽子、直垂姿の大紋が楽屋衆(楽人、舞子、舞人)の先頭に加わり玉串を神前に奉納しますが、古くは一の稚児と一の太刀の家のものが務めたとされていて、太刀の元服と稚児の9歳を祝うため、舞子の家の代表として、神に感謝する役目であったと考えられています。

イベントの目玉の一つ、『天宮(あめのみや)神社大祭』の紹介をします。
天宮神社大祭は、毎年4月第1土、日の2日間行なわれ、平安時代から伝わる古式に法り、荘厳の中にも、典雅に行なわれます。
十二段舞楽(国の重要無形民俗文化財に指定されています)の奉納のほか、行道(ぎょうど)またはお渡りと呼ばれる神興の渡御、舞子返しなどの神事と祭事が執り行われます。
以下、神事と祭事を順を追って説明します。
≪楽上り≫
祭典初日、午後1時頃より行なわれます。
舞子、舞人、楽人、天社穀(てんしゃこく)役員が衣装をつけ神宮寺という建物から隊列を組んで、拝殿に参内します。
途中、祓い所で神官よりお祓いをしてもらいます。
古くは「川原祓い」といったとされ、「浜垢離」の名残ではないかと考えられています。
≪神興渡御・還御≫
祭典2日目の本祭の後、神興渡御、還御が行なわれます。
神興渡御は猿田彦を先導役に松鉾、御弓、御銃などの御道具が続き、神興は神社内参道中段にある御仮屋を目指します。
この時、乙女、浦安と呼ばれる舞子も隊列に同行します。
神興渡御を地元では「御渡り」とも言います。
この語源は、宗像本宮の秋季大祭「みあれ祭」では沖津宮、中津宮から御祭神が辺津宮まで船に乗って渡って来られるからではないかと言われています。
神興が御仮屋に到着すると、神幸祭が行なわれます。
乙女神楽、浦安舞が奉奏されます。
神幸祭が終了すると、引き続き神興還御が行なわれます。
この時、神宮寺から出発した、稚児、太刀、舞人も隊列に合流します。
これは、神仏習合の考えから、「天の神」が降りてきて「血の神」である仏と一緒に再び天に戻る姿を表しているとされ、地元では神興還御のことを僧侶が仏前に上がることを意味する「行道(ぎょうど)」という言い方をします。
また、稚児、太刀は「神様の子供」であるため、日傘をさして肩車して決して地面に足をつけないようにします。
この隊列には烏帽子、直垂姿の大紋が楽屋衆(楽人、舞子、舞人)の先頭に加わり玉串を神前に奉納しますが、古くは一の稚児と一の太刀の家のものが務めたとされていて、太刀の元服と稚児の9歳を祝うため、舞子の家の代表として、神に感謝する役目であったと考えられています。
≪舞子返し≫
天宮神社のお祭りの最後に舞子返しがあります。
舞子さんたちが舞楽や神楽を無事奉納して、その大役を完うした後、「天社穀」の若衆が舞子さんたちを「神様の子供」のままで汚れないように(昔の人は地面に足をつけると汚れてしまうと考えていました)神社の本殿から、舞子の家まで肩車をして決して地面に足をつけないように送り届ける祭事です。
舞子を家まで送り届けると若衆は舞子の健やかな成長と、舞子宅の繁栄を祈り全員で万歳をします。
毎年11月初旬に行なわれる「森のまつり」のハイライト、舞児還しとほぼ同じ仕組みで行なわれます。
このお祭りは、11月の「森のまつり」のように、屋台が引き廻されるわけではありません。
ですから、見た目の派手さや威勢のよさはありません。
「森のまつり」がけんか祭りと形容される男性的なものに対し、女性的なお祭りであるといえます。
現代の日本人がどこか遠くに置き忘れてきてしまった何か、いわば大自然からの「聖なる母の癒し」のようなものが、ここにはあります。
満開の桜の下で優雅に奏でられる舞楽のリズムと舞人の躍動、そして太古からゆったり流れる時間と空間の中に身をゆだねて、いにしえのロマンを体感してみて下さい。
初めてご覧になった方も、きっとどこか懐かしい気持ちになると思います。
神興の渡御、還御を「行道(ぎょうど)」と呼んだり、今は廃寺になりましたが、天台宗の神宮寺が境内にあったり、また十二段舞楽には本来は仏の舞とされている「色香」が入っているなど、廃仏毀釈以前の神仏習合の時代の名残を数多く残しています。
以上、森町天宮地区在住の、S.Sさんよりいただいた資料を元に紹介をさせてもらいました。
本当は、もっと多くの資料があるのですが、とても全部は紹介しきれないので、抜粋して祭礼関連の所のみとさせてもらいました。
4月2日の森町プチツアー、最後に予定されている『天宮神社大祭』、神秘的な十二段舞楽の舞を、夜桜の下でご覧になってみてはいかがでしょうか!
地図はこちら
『4月2日は遠州森町へいらっしゃい!』
天宮神社のお祭りの最後に舞子返しがあります。
舞子さんたちが舞楽や神楽を無事奉納して、その大役を完うした後、「天社穀」の若衆が舞子さんたちを「神様の子供」のままで汚れないように(昔の人は地面に足をつけると汚れてしまうと考えていました)神社の本殿から、舞子の家まで肩車をして決して地面に足をつけないように送り届ける祭事です。
舞子を家まで送り届けると若衆は舞子の健やかな成長と、舞子宅の繁栄を祈り全員で万歳をします。
毎年11月初旬に行なわれる「森のまつり」のハイライト、舞児還しとほぼ同じ仕組みで行なわれます。
このお祭りは、11月の「森のまつり」のように、屋台が引き廻されるわけではありません。
ですから、見た目の派手さや威勢のよさはありません。
「森のまつり」がけんか祭りと形容される男性的なものに対し、女性的なお祭りであるといえます。
現代の日本人がどこか遠くに置き忘れてきてしまった何か、いわば大自然からの「聖なる母の癒し」のようなものが、ここにはあります。
満開の桜の下で優雅に奏でられる舞楽のリズムと舞人の躍動、そして太古からゆったり流れる時間と空間の中に身をゆだねて、いにしえのロマンを体感してみて下さい。
初めてご覧になった方も、きっとどこか懐かしい気持ちになると思います。
神興の渡御、還御を「行道(ぎょうど)」と呼んだり、今は廃寺になりましたが、天台宗の神宮寺が境内にあったり、また十二段舞楽には本来は仏の舞とされている「色香」が入っているなど、廃仏毀釈以前の神仏習合の時代の名残を数多く残しています。
以上、森町天宮地区在住の、S.Sさんよりいただいた資料を元に紹介をさせてもらいました。
本当は、もっと多くの資料があるのですが、とても全部は紹介しきれないので、抜粋して祭礼関連の所のみとさせてもらいました。
4月2日の森町プチツアー、最後に予定されている『天宮神社大祭』、神秘的な十二段舞楽の舞を、夜桜の下でご覧になってみてはいかがでしょうか!

『4月2日は遠州森町へいらっしゃい!』
Posted by 遠州森のビープロ at 09:53
[町並みと蔵展]
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