大河ドラマ・龍馬伝 第38回 「霧島の誓い」
NHK大河ドラマ・
龍馬伝。
9月19日のOAは、第38回 「霧島の誓い」。
時は、慶応2年(1866年)。
坂本龍馬は、お龍と共に長崎を発ち、一路薩摩へ。
霧島連山を望む塩浸(しおひたし)温泉で、しばらくの間療養生活をすることになります。
そこで龍馬は、ニニギノミコトが国を治めるために、この山に降臨して天の逆鉾を頂上に突き刺したという、霧島山に伝わる神話を聞き、登ることを決意。
お龍も、共に登りたいと言いますが、この山は女人禁制。 諦めかけたお龍でしたが・・・
お龍は何と、男装して龍馬の登山についていったのです・・・
頂上へと辿り着いた龍馬は、天の逆鉾を前にお龍に語りかけます。
「寺田屋で一度失いかけたこの命・・・ 生まれ変わった気持ちでこの国を変えていく」 そう話した龍馬は、渾身の力を込めて逆鉾を引き抜き、それを天へ向けて突き上げます。 「これが自らの決意」 だと・・・
龍馬が、薩摩で療養している頃、薩長が手を結んだことで、世の中の動きが大きく変わり始めていました。 倒幕の気運が、いっそう高まっていったのです。
イギリスが薩長への支援を強化する一方で、幕府はフランスとの関係が悪化していました。 将軍後見人・一橋慶喜は、決断を迫られていました・・・
その頃、長崎の亀山社中でも大仕事が舞い込んでいました。
社中の船・ワイルウェフ号の航海練習。 船頭を任された池内蔵太は、意気揚々とした面持ちで、芸妓・お元にその旨を伝えに行きます。
笑顔で祝福の言葉を話すお元に、内蔵太は「夫婦になって欲しい」と求婚。
芸妓を娶るには、身請けをしなければならない・・・ そのことも承知していた内蔵太は、「必ず迎えに来るから待っていて欲しい」と伝え、お元も笑顔で頷きます。 しかし、内蔵太がお元を迎えに行くことはありませんでした・・・
土佐では、岩崎弥太郎が後藤象二郎に呼び出され、長崎行きを命じられていました。 後藤は、土佐の産物を異国に売り込み、土佐藩の復興を狙っていたのです。 その世話役として、弥太郎が抜擢されたのです。
時代の動きを読み、方針転換を試みた後藤の先見の明、これが後に、龍馬や弥太郎と共に歴史に名を残すことになる、後藤象二郎の決断だったのです。
そして、これにより弥太郎も、後に大財閥を築く足掛けとなっていたのです・・・
決断を迫られていた一橋慶喜は、ついに長州攻めを決意。
慶応2年6月、第二次長幕戦争が始まってしまったのです・・・
報を聞いた龍馬は、薩摩・小松帯刀邸に赴き事の真偽を聞きますが、異国留学を決めていた高杉晋作が陣頭に立っていること、薩摩は援軍を送らず、援軍を送る時は江戸城へ攻め込む時、すなわち幕府を滅ぼす時だと、西郷吉之助からの言葉を聞いた龍馬は愕然・・・ 戦をせずに倒幕をと、龍馬の考えに反した形で、世の中が動きだしてしまったのです。
そして、龍馬にとって追い打ちを掛けるような報が・・・
内蔵太の操るワイルウェフ号が、悪天候の影響により航海途中で難破・・・
内蔵太をはじめとする、多くの犠牲者が出てしまったのです。
薩摩から社中へ戻ってきた龍馬は、内蔵太の位牌の前で泣き崩れるしかありませんでした。
翌朝、龍馬は社中の面々に静かに話し始めます。
「幕府との戦に加わる」と・・・ 信じられない面持ちの面々に、「戦はもう始まってしまった。 今自分たちが立ち上がらなければ、この国は滅びてしまう・・・ 自分たちは、薩摩のためでも長州のためでもなく、この国のために戦う!」と、龍馬は自らの決意表明をするのです。
かくして龍馬たちは、長州の援軍に向かうべく長崎を発って行ったのです・・・
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