大河ドラマ・龍馬伝 第21回 「故郷の友よ」

遠州森のビープロ

2010年05月25日 21:25

NHK大河ドラマ龍馬伝
5月23日のOAは、第21回 「故郷の友よ」。

時は、文久3年(1863年)。
土佐の、平井加尾からの手紙を受け取った坂本龍馬は、加尾の兄・収二郎が切腹させられたことを知らされます。

この理不尽な仕打ちに納得できない龍馬は、土佐の大殿・山内容堂への不信感をつのらすと共に、土佐へと帰国した、武市半平太の身を案じずにはいられませんでした。
容堂は、京や大坂に居る土佐勤王党の面々ら、藩士たちに帰国命令を発したのです。 過激攘夷派を良しとしない、容堂の逆襲が、いよいよ本格化してきたのです・・・

帰国命令は、大坂・専称寺の勝塾訓練生たちにも通達され、不安に駆られる塾生たちの前で、勝麟太郎が言葉を発します。 「諸藩からの帰国命令が出ていると思うが、お前たちは絶対に帰ってはならない!」

一方、当の龍馬は、京に居る勝のもとへ赴き、武市らのことが気にかかる故、土佐へ帰して欲しいと申し出ますが、「俺は帰るなと言ったはずだ!」 「お前さんが土佐に帰ったところで何が出来る!!」 と、勝に一喝されてしまいます。
そして、勝は龍馬に、早急に日本の海軍を作らなければならないと、改めて諸外国へ対抗できる軍事力強化を促したのです。

その頃、朝廷では長州藩や一部の公家たちを中心とした、過激攘夷派を一掃させようとした動きが、秘密裏で起こっていました。
薩摩藩らが公家たちに近付き、時の帝・孝明天皇に取り入っていたのです。
そして文久3年8月18日、御所を取り囲んだ薩摩・会津藩を中心とした公武合体派が、長州藩を京から追放するというクーデターが勃発。 俗に言う、「八月十八日の政変」です。 三条実美ら攘夷派の公家たちは、失意のうちに長州へと落ちていったのでした。

その頃、土佐の岩崎弥太郎は、相変わらず売れない材木を抱え翻弄する日々を送っていました。
龍馬の実家・坂本家に、泣き事を言いに行っても相手にされず、女房である喜勢から「おまけを付けてみたら・・・」との助言を請いますが、なかなかうまくいきません。 そこで、災害で被害を被った家々を廻りながら、弥太郎がふと思いついたこと・・・ 材木さえ買ってくれれば、修繕は自分がやるというもの。
これにより、売れなかった材木が徐々に売れ始め、ついには仕入れた材木がすべて完売するに至ったのです。

 
そんな弥太郎が、高知城下を歩いていると、橋の袂で城を見つめる武市を見かけます。
弥太郎は、己の現状を武市に話し、弥太郎なりに武市を励まそうとしますが、元より二人は犬猿の仲。 すぐに口論となってしまいました。
そこで、別れ際に武市が弥太郎に掛けた言葉・・・ 「おまんの嫁は気立てがいいらしいのう。大事にしいや。」そして、「早く子を作れよ!」と・・・
思いがけない言葉に、弥太郎はしばし呆然となってしまったのです。

そして、武市家のある朝・・・
妻・富との、久しぶりの水入らずでの朝げの時間を過ごしていた武市。
時代の流れが大きく変わっても、己の生き方を変えることは出来ないという夫・半平太に、富は、「それでこそ私の旦那様」と答えるのです。
これからは、しばらく二人でいろんな所へ出掛けて、のんびり過ごそうと・・・ そんな、夫婦水入らずでの時間は、つかの間の時でしかありませんでした。
藩の役人が、けたたましく玄関の戸を叩き・・・ かくして武市半平太は、ついに投獄されてしまうのです・・・

そして、岡田以蔵も事態の急変により、土佐藩だけでなく幕府からも追われる身となっていました。
京の町並みの、路地の片隅に隠れながら逃げ廻る以蔵は、ふとそこに龍馬の姿を見かけます。
「龍馬・・・」 以蔵がそう言いかけた時、現れたのは浅葱色・だんだら模様の羽織を身にまとった警備隊・・・ 会津藩御預として、京の町で強固な権勢を欲しいままにしていた、新選組だったのです・・・

時代は、尊王攘夷から公武合体・・・ そして討幕へと・・・
幕末と呼ばれる時代、目まぐるしく事態は急変していきます。
この頃、犬猿の仲であった長州と薩摩が同盟を結び、そして討幕へと時代が動いていくなどと、龍馬や勝でさえも、予測もつかなかったことでしょう。
しかし、時代は確実に、龍馬たちの望む方向へと動き始めていたのです・・・

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