大河ドラマ・天地人 第42回「将軍誕生」
NHK大河ドラマ・
天地人。
今週のOAは、第42回「将軍誕生」。
時は慶長7年(1602年)。
生まれながらにして病弱な体質であった、
直江兼続嫡男・
竹松。 その竹松が、病に倒れます。
これまでも、何度となく寝込むことがあった竹松でしたが、今回の症状はかなり重たいものであるとの医者の診立て。
竹松の病の報は、
伏見の
上杉屋敷にも伝わり、
上杉景勝室・
菊姫は、兼続の妻であり、竹松の母である
お船の気持ちを考え、お船に対し
米沢へ帰るよう命じます。
「私の務めは、奥方様をお世話することでございます。」 「このような時に何を言うておる。これは私の命である。」 そんなやり取りがされ、お船は菊姫の心遣いに心から感謝の意を示し、急ぎ米沢へと向かうのでした。
一方で、菊姫は
仙桃院に、景勝に側室を持たれるよう進言。
自身のこのところの病弱な身体を案じて、上杉の跡継ぎをもうけておかねばという配慮だったのです。
仙桃院から、そのことを伝え聞いた景勝は動揺の色を隠せませんでした。
「某は、養子を迎えるつもりでおりまする・・・」と自らの心情を明かしますが、「
謙信公亡き後、
跡目争いが起こった原因を考えてみなされ。そなたは、謙信公の二の舞を踏むおつもりか・・・」
仙桃院のその言葉に、景勝は、「明年、上洛した折に改めて菊と相談いたしまする。」と答えるしか無かったのでした。
しかし、その冬は雪が殊のほか多く、景勝の上洛は叶いませんでした。
景勝、菊姫、共に互いの身を案じながら、新しい年を迎えるに到ったのです・・・
明くる年、事実上の天下人となっていた
徳川家康は、
朝廷より正式に
征夷大将軍に任ぜられ、念願の
幕府を
江戸に開くに到ります。
幕府開設に当たり、諸大名が江戸へ上る中、景勝にも家康からその要求が来ます。 景勝は、要求通り家康への謁見を決意。 兼続も同意します。
江戸への出立が近づく中、兼続弟・
大国実頼は、兼続に対し景勝の江戸行きに異を唱えてきました。
「兄上は、上杉の義・誇りをお捨てになるおつもりか。」 「時代は変わってしまった・・・ 今は生き残ることこそが、上杉の義なのだ。」
兼続は、そう言って実頼を説得しますが、「兄上は、もう我らの言葉になど耳をお貸しいただけぬのですな。」と言い残し、その場を立ち去ってしまいます。
関ヶ原の戦い後の動乱で、上杉内部にはそういった細かい亀裂が生じてしまっていて、それは兼続、実頼の兄弟の間でも例外では無かったのです。
そして、景勝と兼続は家康に謁見するために、江戸に入ります。
江戸・上杉屋敷にて、
江戸城・登城の準備を進めている最中、菊姫が病に倒れたとの報が入ります。
激しく動揺する景勝・・・ 「殿は奥方様のもとへお行き下され。江戸城へは、某が名代で赴きまする。」 兼続のその言葉に、景勝は感謝の意を表わしながら、急ぎ伏見へと向かうのでした・・・
伏見に着いた景勝は、早速菊姫を見舞います。
菊姫は、未だ側室を持たない景勝を責めますが、景勝は、養子を迎えようとしていると、自らの心情を明かします。
「我が実家・
武田が滅んだは、兄・
勝頼が正室の子では無かった故・・・ その二の舞は踏まぬと、我が子をもうけようと努めてまいりましたが、果たせず謝罪の言葉もございませぬ。」 「養子を迎えれば、家督の譲渡で何やら争い事が起きるやもしれませね。 どうか、殿自らの子をもうけて下さりませ・・・」
菊姫の決意に感じ入った景勝は、菊姫をきつく抱きしめ、感極まった菊姫もそれに応えます。 これが、二人の今生の別れなのでした・・・
そして、江戸では兼続が景勝の名代として家康に謁見。
景勝が江戸に居ないことに、家康は難癖を付けてきますが、兼続は、登城の日程は3日後であること、それまでには景勝も戻ってくることを述べた上で、謀反の疑いを掛けられた対し、「
豊臣秀頼公のお膝元・大坂に程近い伏見に居る主に、何故謀反の心があると仰せか。」と反論。 更に、「主・景勝は、奥方様の見舞いで伏見に留まられております。 親子や夫婦が、お互いを思いやる心なくして、天下を治めることなど出来ますでしょうか。」と言い放ち、家康も、しぶしぶながら承諾せざるを得ませんでした。
かくして後日、景勝と兼続は家康へ改めて謁見をし、形ばかりの祝辞を述べ江戸を後にしたのでした。
明けて慶長9年、景勝のもとに菊姫が亡くなったとの知らせが入ります・・・
景勝は、悲しみを堪えながら年賀の挨拶のため、
大坂城の秀頼のもとへ赴きます。 秀頼公の前で、年賀の祝辞を述べ始めた景勝でしたが、途中、涙で言葉が詰まり、続けることが出来なくなってしまいます。
これを察した兼続は、景勝に代わって祝辞の言葉を述べたのでした・・・
その後、景勝はそのまま伏見に滞在。 兼続は米沢へと帰還しました。
長い闘病生活も癒え、元気を取り戻した竹松に兼続は安堵。
そんな兼続に、お船は兼続宛ての菊姫からの手紙を見せます。
そこには、兼続に対する謝罪と感謝の言葉が綴られていました・・・
「今、竹松が息災で居られるのも、奥方様のお気遣いがあってこそのもの。 竹松、奥方様からもらった命、粗末にするでないぞ。」
そう竹松に言い聞かせながら、兼続は菊姫の短い生涯を惜しみながら、感謝の意を表すのでした・・・
武田の娘として生まれ育ち、戦略のために宿敵であった上杉に嫁ぎ、自らの運命を憂いだこともある菊姫でした。
しかし、景勝の真の愛情を受け、その後は景勝を慕い続けたのです。
まつりごとに翻弄され続けた生涯、自らの子を持つことも叶いませんでしたが、景勝を慕い、そして愛情を受けながら、菊姫の人生は、決して不幸なものでは無かったのでしょう・・・
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