遠州森のビープロ
2006年02月04日 22:27
初代の法被は背紋に“北街”と置き、煉瓦紋の柄であった。 2代目は背紋に変体仮名で“○に北”と入れ、吉原つなぎの柄であった。 そして3代目、つまり現在の法被は柄を初代の煉瓦紋に戻し、背紋は 右肩に“志ん町”と白抜きで配したのである。 背紋は真中に置くという従来の法被図柄の殻を見事に破った斬新的な作品といえる。