遠州森のまつり・森のまつりの由来

遠州森のビープロ

2013年10月06日 22:25

遠州森のまつり・お祭り前の話題。
今年も、不定期でご紹介していこうと思います。

第一弾は、「森のまつりの由来」。
(本文・写真は、平成25年・森のまつりカレンダーより)

森のまつりの起源はさだかではありませんが、三嶋神社の素朴な祭礼として古くから行なわれていたと伝えられています。

現在のような屋台の曳き廻しは江戸時代に始まりました。 江戸時代、森の町は秋葉街道の宿場町として、また、町の中心を流れる太田川を利用した水運による物産の集散地として大店が並び、「栄える都市の長者番付」にも掲げられるほど隆盛を極めていました。 氏神の祭りである三嶋神社の祭り当日、商店の使用人たちは主人より祭日としての「無礼講」を許され、盛大に屋台を繰り出しました。

文久三年(1863年)には、祭りの最中に秋葉山御用の御荷物行列が通りかかった際、行列の人足の狼藉である町内の屋台が壊され、これをきっかけに当時の町内間の対立を背景とする不満が爆発して、屋台や家屋などを壊す騒動が発生しました。
代官所や周辺の村の庄屋も間に入って事件はようやく決着しましたが、一時期屋台の曳き廻しは中止されていたと伝えられています。
その後復活してからは、日中戦争の勃発した昭和十二年(1927年)を除いて、明治、大正、昭和、そして平成の現在まで連綿と、屋台の曳き廻しが続けられています。

現在、森のまつりには三嶋神社のほか、谷本神社、天宮神社、天方神社、森川稲荷社の氏子社が参加し、合わせて十四台の屋台は、どれもが華麗な彫刻が施されている、この地域特有の二輪屋台です。

屋台は、狭い街中を手木と呼ばれる部分を左右に振りながら曳き廻しが行なわれ、初日の祭典開始宣言式、屋台清祓いをはじめ、神輿渡御・還御、最終日の夕刻には神様に舞を奉納した舞児を、自町内まで送り届ける「舞児還し」が行なわれます。

遠州森のまつりまで、あと26日・・・

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