「森のまつり」14町内の歴史“北街社(新町)”

遠州森のビープロ

2006年02月04日 21:54

森のまつり、「14町内の歴史」紹介、第13弾は、“北街社”(新町町内会)です。

新しく出来た町だから新町というが、その歴史は以外に古い。
では、いつ頃から町名を名乗るようになったのだろうか。森町村の歴史は江戸時代とともに始まる。

慶長8年(1603年)徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた。
この頃森村は川端の場所であったため、太田川の水害に見舞われることが多く、村民が地頭所に願い出て太田川流域の大改修が行われ、森町村が造られた。

村を新たに町割することになり、先ず大きくふたつに分けて下町と上町が出来た。下町とは後の本町のことである。
次に正保4年(1647年)に上新町と下新町との町立てが行われ、上新町は現在の新町のことであり、下新町とは岡田屋から文誠堂までの通りで、後に旅籠町と呼ばれる町である。

その後、さらに整備されて本町、中町、横町、新町となったわけである。
従って新町は森町村に後から出来た新しい町ではなく、森町村成立と同時に出来あがった町なのである。
森町村は村とはいえ町場としての機能を有しており、森地域の拠点的な位置を占めていた。
村の全盛期ともいうべき文政13年(1830年)の家数・人別書上によれば、家数は合わせて358軒、そのうち百姓は141軒、旅籠屋は24軒もあり商家はなんと149軒もあったのだ。
新町に何軒の商家があったのか明らかでないが、呉服屋、古着屋、質屋など相当多くの商家が新町表通りに店を構えていたという。
明治以降森町村が衰退し始め、旅籠屋や商家がだんだんとその姿を消していく中、新町には更に商店が増え続け、とりわけ“新町銀座”といわれる程に成長していくのである。

又、新町を作り上げたのは商人だけではない。明治21年より41年迄、森町高等小学校の校長を勤めた柚木金太郎や、明治24年、仲町に森町病院を開設した東京大学医学部卒業の医学博士・猪原吉郎など、多くの偉人をこの町から出している。

地図はこちら

こちらの紹介文は、“森の祭り”ホームページから引用、著作権は、大庭学氏(森町・下宿出身)が有しております。

次回は、“比雲社”(仲横町町内会)の紹介です。
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